ねぎおSTOPWAR

市子のねぎおSTOPWARのレビュー・感想・評価

市子(2023年製作の映画)
4.5
この映画はね、ジワりますねー・・と言いつつ、『ジワる』の使い方合ってるのかなあ???
要はね、観終わって「あー、なるほどそうかあ・・」って考えてたら、徐々に「あれっ!?ひょっとしてあそこは・・」とかどんどん妄想が広がり、勝手に自分で「ええーっっ!!」ってビックリしています。だからジワジワと身体の中に広がっていくような気分だったんですよ!

この設定はとりわけ新しいわけではなく、《え、一体誰なの!?》で言えば「ある男」や「嘘を愛する女」なんかもそうですよね。また、捜索の過程で主人公と共に過去を知ることになるという話法も映画では上手な見せ方として存在します。

しかしそんなことよりも、ふと気づくとここしばらくの日本映画ってこうした現代社会の闇や貧困層の実態を前提としたものが当たり前になってきている気がする。

仕事柄よく若い層から「(世界の)映画が社会問題を扱っているものが多く、それらを見ると日本に生まれて本当に良かったと感じる」とか例えば石井裕也作品などに「(ごく一部の特殊な人たちを扱っていて)こんな人たちもいるんだと思った」とか言われて驚くわけです。他人事なんですよ、彼らからすると。
でもこれも仕事柄いろーんな家庭を見るし親と話しますけど、本当に貧困は広がっています。ニュースに踊る文言は日常的に交わします。危機的な状況だと思います。彼らは社会に適合できるだろうか・・将来若者たちは奨学金という多額の借金に潰れないだろうか??と心配になります。

フランスでもアメリカでも韓国でも目の前のことや自分のことを表現するわけで、だから日本もこうした格差社会でのダメージや不安や困難を描くようになってきたんでしょうね。
少し前って「いじめ」ってものが題材にあったじゃないですか。
LGBTなどマイノリティがテーマとして増え、そして今作は・・

いや、「正欲」と連荘でこれ観たのもいかんかったかも!共に渡辺大知出てくるし!w
「正欲」の方が見やすく作られていて、エンタメだなって感じましたけど、続けてこれ「市子」観るとダメージが凄い・・。

そして今わしゃオカルトホラー観たんかなと思う次第。
もう日本という国がオカルト。


《以下はネタバレです》
ほぼ備忘録として。














この映画は説明的ではない場面が多く、それが良かったですね。
それが同時に人の感情や出来事をテレビチックに軽ーいものに貶めていないから。
時間的にはまず母親ですよね。
彼女が不遇なのか、いい加減なのか、頑張れなかったのか・・
よく生んだ責任とか言いますが、一人でなんとか出来る程人間って強くない。
スクリーンの彼女、脚本上の彼女を責める気持ちにはならないです。
しかし確実に娘市子に大きな影響を与え、市子の取るべき未来の選択の幅は母によって異様に狭くなってしまった。

この母と市子って、どれだけしんどくなっても、自死は選択肢に出てこなかったですよね。少なくとも逮捕の危険が及ぶとき、生き抜くほうを選んでる。
創作ですから・・
少なくとも本を書いた方は、この女性二人を《ベクトルを自分に向ける人》として描いていないわけで。
限界で二人は介護から逃れるべく月子を殺した。
「施設」「病院」という選択は出来なかったんだろうなあ。助成金はどうしたんだろう・・その後入り浸る男の入室の際の言葉など考えるとうまいこと生活費は引っ張っていたんでしょうね。
そして市子は自らの秘密を危機にした義父を殺す。
あとは戸籍=社会からの逃避。
決定的だったのは、唯一の逃げ道であった「月子」の死体が出てしまったこと。
これによってピンチに陥るわけです。



そして最後北くんとあの女性・・
果たしてどうなったのかは映像にもならず言葉にもならず。

劇場出てすぐは、あの落下した車は北くんと女性と思ったんです。
ひょっとしたらただの別の事件かもしれない。
でもまああの二人だとして、あの夜どんなやり取りをしたのでしょうか・・・・。ここ、想像は尽きないわけです。

あの口笛は母親が、死んだ月子を見て呆けながらもキッチンで奏でたメロディーです。
そして「市子、ありがとうね」と言った。

市子のややすっきりしたラストショットを思うと、「北くん、いろいろありがとうね・・」ってことかな。人の死によって自分の未来が少し安心できていく・・・「仕方ないよね」とつぶやきながら排除を繰り返す悪魔・・・。優しい人々の憐憫は届かず、悪魔を生み出したのは社会。


ひょっとしたらまた考えが変わるかもです。そんな気がします。
時間を置いて再度観ると、違ったことを思いそう。


〈2023-421/60〉