ヨーク

人間の境界のヨークのレビュー・感想・評価

人間の境界(2023年製作の映画)
4.4
世の中には正しいからとか間違っているからとか、好きだからとか嫌いだからとかで区別せずにとにかく知っておくべきことというのがあって、お金は大事だから無駄遣いしないようにという小学生レベルのことから望まぬ妊娠や出産を防ぐためにも男女共に性教育をして避妊の知識はしっかりしておきましょうとか遺産相続も含めた税金のお話しとか犯罪被害を受けた場合にどうすべきかだとか様々なレベルでのとにかく知っておくべきことというのがある。そしてそれは小説とか音楽とか映画とかでも同じで、面白からとかつまらないからとかそのジャンルに興味ないからとかいう理由でスルーすることはできない触れておくべき作品、というものがあると俺は思うのだ。本作『人間の境界』という映画はそのような映画であったと思いますね。題材に興味がなかったとしても、自分の思想や政治的スタンスとして作品に共感が持てなかったとしても、取り敢えず観ておくべきであろうと言える映画だと思う。
どんな映画かというといわゆる難民問題を描いた映画である。難民問題はここ10数年ぐらいEUを中心として非常に大きな問題(根を辿れば欧米先進諸国の因果が巡っている気もするのだが…)として扱われているのでまた難民映画か…と思うところもなくはないのだが、本作で描かれているそれは欧州がキレイごととして宣っている難民や移民の問題の正に裏側を突いたような問題提起が為されており、難民・移民の問題を取り扱いながら国家が行う虐殺やホロコーストといった人類そのものへ対する犯罪とでも言うべき行いがいともたやすく行われるシステムとしてあぶり出される映画なのである。とにかく観て知っておくべきであるというのは本作がそういう映画だからである。
ただ本作の映画で描かれる具体的な内容というのはおそらく日本人にとっては周知の浅いであろう題材で、実際に俺も恥ずかしながらこういうことが実際に起こっているのだということは本作を観るまで知らなかった。作中でも説明的なセリフや解説はないために先に知っておいた方が観やすくなると思うので書いてしまうが、恐らくここ数年くらいの間に始まったことだと思うのだが、親ロシア派の国であるベラルーシがEU諸国(本作ではポーランド)に対してまるで輸出でもするかのように難民を送り出しているということが本作の根幹にある。これはベラルーシ及びその親分的立場のロシアがEU諸国から排外されているということに対する嫌がらせのようなもので、EU諸国の合意がないにも関わらずにベラルーシのルカシェンコ政権がシリアを始めとした中東諸国の難民に対して「ベラルーシ経由なら安全にEU圏内に入国することができるぞ!」と喧伝して難民たちを集め、その難民たちをポーランドに送り込んでいる、ということなのである。その難民たちは「人間の銃弾」や「難民の武器化」とも呼ばれている。EU諸国には移民や難民を年間数万人(3万人だったかな)受け入れるという政策があるので本来なら可能な限りはそれら難民を保護して然るべきであると思うのだが、上記したようにEU外のベラルーシが敵対的行為として積極的に難民を流入させていることをある種の攻撃と見做してポーランドの国境警備隊は彼らを追い返しているという事実があるんですね。んで肝心の難民たちはポーランドからベラルーシに追い戻されるわけだが、ベラルーシとしてはEUに対する嫌がらせで難民を送り込んでいるのだから当然自国内で保護などせずにまたポーランド内に押し戻す。そしてポーランドの国境警備隊はまた難民たちをベラルーシへ…と寄る辺のない人たちをキャッチボールするかのように押し付け合うのである。それが本作を観る上で最低限は知っておいた方がいい(俺は知らなかったが…)であろう現実に起こっている出来事である。
映画自体は章仕立てになっていて、そのようにベラルーシ側の思惑とポーランド側の排除の間で翻弄されるシリア難民の家族や、彼らを排除する側のポーランドの国境警備隊の男と彼の子を身籠った妻、そして非合法ではあるが国境間で行ったり来たりしながら困窮していく難民を助ける支援団体といった者たちの物語が語られる。そういう語り口なので映画としては群像劇のヒューマンドラマといった風情なのだが、モノクロの映像で語られるその様々な思惑の中で揺れる人間たちの姿の描き方っていうのが良かったですね。特に序盤から中盤までは非常にドライで透徹された視点で描かれているのが良かった。
確か作中で両国間でいいように扱われる難民の誰かが「我々は人間扱いされていない、まるで動物だ」というようなことを言ったと思うのだが、そのセリフですら甘さを感じる描写で実際には動物どころかクソ、本当にうんこいう意味での糞並みの扱いを受けている光景が抑揚のないドライな調子で描かれるんですよ。家の前の道に犬の糞が落ちていたから、ったく誰だよちゃんと掃除しろよ…、ってぶつくさ言いながらスコップで拾ってそこら辺の植え込みとかにその糞を投げ捨てるっていう、それくらいの扱いを受けている人間の姿が描かれるわけですね。
そこには上記したように背景としてのEUとEU外、言い換えればヨーロッパとロシア圏という境界があり、その境界というのが何を分けているのかというと邦題にもある『人間の境界』なのである。これは非常に良い邦題(ちなみに原題は『GREEN BORDER』で舞台となるポーランドとベラルーシの国境にある森のことであろう)で、映画ではEU的には難民や移民を積極的に受け入れるというとても人道的に思える政策を勧めているにも関わらず、本作で描かれるベラルーシ経由の難民を追い返しているというのはひとえに親ロシア国家であるベラルーシが意図的に悪意を持って送り込んでいる難民であるからに他ならない為である、という欺瞞が描かれるのだが、それこそが正に境界なのである。
敵性国家が自国を混乱させるために送ってくるものは人間ではない。だから人間扱いはせずに犬の糞のように国境の外に投げ捨てる。ということである。ロジックの組み立て方に多少の差異はあれどそれはナチスが行ったホロコーストと何が違うのであろうか。そして今現在イスラエルがパレスチナに行っていることと何が違うのだろうか。人種や国境が人間の境界であっていいのだろうか。本作は歴史の教科書に載っているようなことではなくて、今まさに起こっていることとしてその問題を突き付けてくる。最初に書いたように、それは面白いとかつまんないとか好きとか嫌いとかを抜きとして取り敢えず観ておけよっていう映画だと思うんですよね。だから一人でも多くの人に観てほしいですね。
ちなみに『人間の境界』という邦題が非常に秀逸だと思うのは、本作のエピローグに相当する部分で「ポーランドはウクライナ戦争による避難民を180万人近く受け入れた」というエピソードが紹介されるのだが、それって完全に皮肉だよなっていうところもある。かなり雑な、と断ったうえで歴史的に見ても共通の敵とも言えるロシアのせいで行き場を失った難民は受け入れるのにベラルーシが嫌がらせ的に送り込んでくる難民は頑として拒むのである。これまた雑な言い方をすれば、味方は人間だけど敵は人間じゃない、っていうことなんですよね。それをシステムとして手順化すれば虐殺やホロコーストといったことはいともたやすく行われてしまう。本作はウクライナ難民がポーランドへと移動するエピローグで終わるんだけど、そこで描かれるのはペット同伴で悠々と国外に避難できる姿なのである。ベラルーシから送り込まれる難民は動物以下の扱いなのに、である。いやもちろん、可能であるなら避難民が所有する犬だの猫だのもできるだけ受け入れる方がいいとは思うけどさ。ペットの犬や猫を家族の一員として扱うことには全く異論はないが、それを身内はかわいいけどそれ以外の奴はどうでもいい、と境界を作り上げてしまってはダメだろうということなのだと思う。
その辺が容赦なくドライに描かれているのがとてもいい映画でしたね。ちなみに上で“中盤までは非常にドライで透徹された視点で描かれているのが良かった”と書いているが、わざわざ中盤までと書いている理由としては終盤はちょっとご都合主義とまでは言わないがやや希望的な観測をもって終わるためである。これをどう受け取るかはむつかしいなー、と思った。下手な希望を持たせずに最後まで現実を描いた方がいい、ということも思ったが、映画という作り話の力を考えたときに“あの映画で主人公がやったことの真似をする”というレベルでもいいから観客に影響を与えることができれば、それは嘘から出た真としてとても強い力を持つだろうとも思うので終盤の展開はあれで良かったんじゃないかなと思います。
とりあえず観れる機会があれば観てほしいですね。とてもいい映画でした。
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