滑りこみでどうにか。
Kのいない映画だった。
当たり前なんだけどかれが亡くなってから作られたのだから、中心にかれが立って、笑っていたりはしない。ただその不在を知らしめられる。
それはPTPがとてもとくべつなバンドで、Kがだれにも代わりができない特別なひとだったから。
わたしはKが亡くなったすぐ後にPTPを好きになったけれど、おともだちが好きなバンドだったからもちろん知っていた。でもだから、そのまんなかで
喪失とかなしみを味わうことができない。ああ、つらいよね、とても苦しいよねって思いながらずっと遠巻きにながめている。
好きになったらもういなかった、というのは、かなしみの感覚がぜんぜんちがう。
そもそもPTPが、Kのことが映画として制作されたのは、あまりにもあのバンドがもたらしたものが大きくて、たくさんのひとが好きだったからだと思う。かれらの近くにいたひとたちがもう笑っていろんなことを話せるんだけど、やっぱり今でもことばに詰まって泣いてしまうくらい。
BLARE FESTもそうで、この映画の中でPTPの映像をぜんぶ使わせてもらえるなんてとてつもないことだし、そこにある気持ちを考えると言葉にならない。
いくつかすごく胸にささることばがあったのに、うまいことまとまらない。
売上とか知名度とか大切なんだけど、でも結果を残すことがすべてじゃない、一緒にすごした時間が大切で、ってメンバーがそろって言う。そんなに売れたわけじゃないのにぜんぜん勝てないって泣きながらつぶやく後輩のバンドマンがいる。
ときどき思うんだけど、どうして時間をとめられないんだろう。いまが永遠につづけば、その一瞬あとにあるかもしれない不確定な不幸も幸福も知らずにすむのに、なんで終わってくれないんだろう。もちろん不可能なことはわかっているけど、Kが生きていたころのまじめな、繊細そうな表情にも、爆笑しているすがたにも、思わずにいられない。はやくにいなくなってしまう人だってだれもがKについて思っていたって、とてもよくわかる。だからってそれを本当にしなくたってよかったのに。
わたしの好きなミュージシャンみんなに思う。お願いだから生きていてよ。本末転倒でも、そんなこと望んでいなくても、音楽なんてつくってくれなくてもいいからすこしでも幸せにすこやかに生きてください。
こんなかなしいのはもういやなんだよ。