m

マリの話のmのレビュー・感想・評価

マリの話(2023年製作の映画)
4.4
こんなに変、というか変な気持ちにさせられる邦画は初めて観た 
コメントで言われているように、逸脱を繰り返す映画だけれども面白いと言う一点においては一貫している、のだが、その逸脱が指すのは純粋な映画的な文脈・構成といったものから逃走することではなく、あくまで自然現象のような離脱を繰り返していることである。

ファーストカット、夢の中の女優を真正面から捉えたショットからホテルで寝ているピエール瀧のルーズへと繋がれる。文脈的に捉えれば寝落ちなんだけれども、感覚的にはそんな感じではない。説明のショットではなくて、映画全体の態度とも取れるような二つのショットに対し、言いようのない気持ち悪さと同時に、確かに映画が動き出した感覚がある。
監督の立場を利用した女優への性的な態度に対して、作品は批判的であるわけでもなく、肯定している訳でもない、が、肯定してないわけでもないといった、正直言って掴みきれない気持ち悪さを感じる。1章目はモヤモヤするんだけども、2章目はガラッと形を変える。

女優は望んで監督との関係を了承するわけだが、その後、2人の関係は行き詰まってしまう。つながった映画を観ながら、監督のいない試写室でアフレコをする彼女は、自分の心境と呼応する台詞を強制的に口にさせられることへ、涙してしまうのだ。
このシーンは、スクリーンに映る映画を見る彼女のバックショットと、切り返した彼女の正面ショットの2つから構成される。はじめにバックショットを通して、スクリーンに映る人物の口とリップシンクしない、半ば独白のようになった彼女の声を聴いて、見えない彼女の顔を想像する。正面に入った時には、逆に泣きながら読み上げる彼女の声と視線を元に、スクリーンのその先を私たちは想像する。女優として生きようと思った時間、監督に対しての愛憎を想像してしまうのだ。その場に立ち会わされてしまうと、やはり無条件に感動してしまって、短い時間で完全に彼女に肩入れしてしまう。

3章の猫を探すおばあさんとの出会いも秀逸で、素敵な出会い♪みたいな無責任な印象がない。ついさっき出会ったばかりのおばあちゃんに身体を密着させながら、彼氏(監督)が勃起不全であることを相談する。正直、やっぱちょっと気持ち悪くないか?と思えるようでいて、でも微妙な美しさがある。日の当たる縁側で寝ていて、うたた寝するのにちょうどいいんだけど、すぐ先で収集車がガラスを回収する音が響いたり工事音がする、そんな感じのバランスがある(実際に、縁側のシーンでは外の音がすごく聞こえる)。
4章目の短編がきっかけとなって、マリの話が出来たらしいのだが、見終えてみて、なるほど!と納得する。
文脈としては、女優だった彼女が監督に転身して、過去の男・監督に対して制作した短編を送りつけるのだが、その短編作品が4章にあたる。性的なイメージについて森の中で語り合うフランス人カップルが、直接的な性行為をせずに言葉によるイメージでエクスタシーを感じようとしている話。最後に女性の方がカメラに対して、イメージで射精はできる、話はそこからよ(意訳)的なことを言うんだが、確かにドキッとするし、納得する。というのも、あくまで監督が欲情していたのはファーストカットであるイメージの女に対してであり、肉体を通しては絶頂できなかったということがはっきりとする。しかし女優はこういうわけである。肉体をもった現実の私においても尚、そのイメージは健在であり、私から放たれるイメージによって、扱かなくても射精できるはずなんだ。あんたは私と対峙するべきである、と。
これは気持ち悪いんだが、何だかカッコいいかも。

正直いってしまえば、4章にいたるまで、監督・女優ともに自らの関係性の気持ち悪さに触れないどころか、それを加速させろよ!と逸脱し続けるのが、それでええんかいなとも思う。でもその2人の、この映画の気持ち悪さは、確実に面白い。こんなにも無自覚に自覚的な映画があるんだという驚きと、このバランス感覚を描けるのは確実にこの作家しかいないだろうという確信においては、間違いなく作家の誕生を目にしたと言う表現は正しい気がする。
でも、この言いようがない気持ち悪さをこそ、恐ろしいとも思う、というのは、本当に言い得て妙なコメントです。
この変さ・気持ち悪さは、恐怖なんだと思います。
次回作も観たい。

余談だけども、映画全体を通して、バックショット・追う形から、正面ショット・受けの形になる編集が多く、単なる手ぐせもあるんだろうけど、人物を見送るが、次には待ち構えるという一見よくある繋ぎだがなんかチグハグした感じが、気持ち悪良かった。そのためにアクションで無理やり気味に繋いでいるところもあって、普通に気にはなるのだが、狙いか?と思わせる微妙なライン。
m

m