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ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.2
 最初は確かホームページには20分で特別料金1600円と書いてあった気がしたが、今日行ったら1000円均一だったし、蓮實重彦や菊地成孔にコメントを貰ったはいいもののパンフレットの販売は突如の中止で、何か配給サイドの混乱を感じるのだが、ゴダールに青春を捧げた信者だから観に行ってきた。う〜んこれは完全に騙されたと言うか、おそらくゴダール自身の病気の状態が思わしくなく、病の床に伏せながらも、最期まで映画を撮ることだけは諦めなかったという点では美談にも受け取れるし、側から見ればこの映画化の実現だけが一縷の望みだったとも受け取れる。最初の5分くらいは無音で、映画に関する殴り書きのようなコラージュめいたものだけが陳列される。その時点では美術館のインスタレーションと大差なく、「マジか」とは思ったのだが、新宿武蔵野館最前端っこの席に座っていたら突然、クラシックが爆音で流れたものだから席から浮き上がるほどびっくりし、ホラー映画よりも衝撃を受けた。

 今作に使われたJLGの声は、カメラマンのアラーニョにゴダールが言付けした声というが、何だか生気がない。それこそカンヌ国際映画祭ボイコットの頃の若い頃のゴダールの声を耳にしている者からすれば衝撃を受けるだろう。トリュフォーは若い命を散らし、もはや付き合いの絶えたエリック・ロメールやクロード・シャブロルが商業映画として堂々たる遺作(傑作)を残した一方で、このような草稿めいたメモ書きが遺作となってしまったジャン=リュック・ゴダールの呪われた人生に対して、青春を捧げた信者として思うことは一つや二つではない。然し乍らもはや回復の見込みのない病とその痛みに絶望し、安楽死が認められていないフランスではなく、スイスのアトリエで自殺幇助という名の自死を選択した映画の神様の惨たらしい死が我々ファンに与えた衝撃の大きさ。それこそ人生そのものがモンタージュであり、幸福な笑みの次に不意に残酷なショットが配置されるJLGらしいフィナーレではないかと1年半経ってようやく冷静に感じ取れるようになった。

 さて作品について最後に少しだけ述べるが、ゴダールはシャルル・プリニエの短編『カルロッタ』の映画化への意欲を見せていた。前作『イメージの本』ではグローバル資本主義の終焉というか、老作家の極めて悲観的なビジョンが提示されたが、それから数年してキーウやテルアビブで起こる心底悍ましい出来事に対して、JLGの直感は当たったと言わざるを得ない。それはナワリヌイやブリゴジンへの遠隔操作による不条理な暴力も含めて。JLGのフィルモグラフィの急速な左傾化を論じる前に、常にゴダールの映画には戦争が引き起こす文明的・人類的な不条理が根底にあった。貧富の差や人種間の不和。それがもたらす文化的な憎悪とブルジョワジーに収奪される文化的価値への違和。それをこの老作家は信じられないことにカルロッタという少女の目を通して描くことを最期は熱望したのだという。絶え間ない変容と暗喩を解放すると大風呂敷を掲げた映画は遂に陽の目を見る事がなく、スケッチのような殴り書きだけが残された。そこにはもやはスピルバーグではなく、デ・パルマへの肉声によるディスだけが残された。この20分を映画未満と取るか映画詐欺と取るかは定かではないが、最も混沌とした2024年のスタートには相応しい言いようもない奇跡のような20分だと認識した。中盤の傑作『アワー・ミュージック』の引用に電気が走るような衝撃を受けたゴダール信者は静かに手を挙げて欲しいし、何よりもCanonの台紙にかつてのCanonユーザー(今は消極的なSonyユーザー)としては思わず涙が溢れる。
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