黒猫ぽち

津島 ー福島は語る・第二章ーの黒猫ぽちのレビュー・感想・評価

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今日は3月11日、東日本大震災から13年が経ちました。この日だから想いを寄せるというのは違うと思っていますが、それでもこの日はやっぱり特別な日です。なにかしらいつもと違う過ごし方をしてしまうような、そのことそのものに若干の引っ掛かりを感じないでもありませんが、毎年この日をどのように過ごすのか想いを巡らせ、迷い、考えているような気がします。

でも今年は一択。

シネマスコーレで今日1日、一回限定で上映されたこのドキュメンタリー、上映予定を知ったその時、僕がまっさきに思ったのは「この日、お休みをいただいても良い状況だろうか?」ということでした…お許しいただけて同僚諸氏には心から感謝です。長尺映画であることからシネマスコーレさんは異例の予約を受け付けてくださいましたし、前売り券も手に入れていたので、今日は万全の体制で椿町に出かけるだけ!でした。

「津島」ときいてもピンとこない方もあると思いますが、TOKIOの「DASH村があったところ」ときけば、そうなんだー、とわかってもらえるのではないかと思います。2011年3月11日に起きた東日本大震災とそれに続発した東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故により、3月15日に避難指示が出され、それ依頼13年が過ぎようとしている今なお、福島県浪江町津島のほとんどの区域は帰還困難とされています。このドキュメンタリーは、津島地区の住民が提起した「ふるさとを返せ!津島原発訴訟団」の意見陳述書に綴られた津島地区の人々の言葉、想いを映像として記録したものです。

内容はいつものように公式ホームページをご覧いただくことにして、僕がこの映画で感じたことをほんの少しだけ書いておきます。

この作品は九つのパートに章立てされていますが、7番目の「棄民」は突き刺さるような気がしました。津島地区には発災当時1,400人の住民がいて、訴訟に加わっているのはその半数の約700人です。訴訟では請求額に比べてほんの僅かな賠償を認めることで、一見すると原告勝訴のように見えるけれど、原告が最も強く求めた「山林も含めて元の姿に戻せ」という点については棄却されたと言います。国の役人(厚生労働省?環境省?…多分後者)は「山林を含めた原状回復(除染)には膨大な国費の投入が必要になるが、それをしたところでどれだけの人が帰還するのか」と暴言を吐いたといいます。此奴、目の前にいたら『バカヤロー!』と怒鳴りつけてやりたい。

仮にどんなに過疎化が進んでいようとも、戻る人が多くなかろうとも、その場所で穏やかに心ゆるやかに暮らしていた人々がいるのです。その場所を勝手に汚しておきながら「どれだけ人が戻るのか」なんて暴言、絶対に容認できません。それを容認するのは「人の営みを蔑ろにすること」に他ならないから。そんな権利は誰にもないのです。

でも、経済原理だの最大多数の幸福だのと、一人一人の人のありようを尊重せず、あたかも金さえ払えばいいのだろうと言わんばかりの振る舞い、言動、価値観が蔓延ってる。どうにも納得のいかないことですが、一言で言えば「多数の利益、快適さ、便利さのためにはごく少数の"がまん"はあってもしょうがない」という歪んだ思想が蔓延しているその真っ只中に置かれているのが「津島」の人々なのだと感じます。そしてまた、「しょうがない」と思っている人々には「自分がその"少数"にいつ何時まわるかわからないと想像するちから」がないということも。

上映後の舞台挨拶で土井敏邦監督はおっしゃいました。

「ガザと福島で共通することが二つある。それは、加害者が誰も罰せられないこと。そして人の尊厳が踏み躙られていること。」

想像力を鍛えよう。誰だってその立場になるのかもしれないんだもの。経済原理なんていうそれっぽいことを言われても、誰もがその立場では納得できないことが今現実にあるのです。その時にその立場でいるかもしれない、と想像することができて、そういう自分だって納得できないような立場に想像を広げて物事を考えることができたなら、そんな理不尽な事態を容認するなんて誰だってしないに違いない。また、誰かにそんな理不尽なことをしいたりはしないだろう。

僕は今日、このドキュメンタリーを観ることができて本当に良かったと思っています。今日お休みを取らせてくれた僕の同僚の皆さんに感謝します。今日の上映を企画し、異例の予約受付をしてくださったシネマスコーレの皆さんに感謝します。そして、このドキュメンタリーを世に送り出してくださった、土井監督とスタッフの皆さん、語ってくださった津島の皆さんに感謝します。

4月以降に改めて上映されるとも聞いています。ぜひもう一度機会を作ってシネマスコーレで観たいと思います。
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