あらゆる意味で「貧困国」になってしまった日本で、戦後の経済成長期の日本を知る上で、特に「映画」が映し出した1960年代の、特に「東宝映画」は興味深い。
この時代、東宝に限って言えば黒澤明の時代でもあり「ゴジラ」の時代でもあり、世界に誇る日本映画の時代でもあった。
その中の国内向け「プログラム・ピクチャー」の超人気シリーズ。
なのだが、事後の世界に生まれた親世代よりも少し上の時代の映画でもあり、若かりし頃の自分にとっては、本作で描かれる風俗が古臭く、またタイトルも、ポスターデザインも、そして「若大将」もなんとなくドメスティックにエスタブリッシュされた野暮ったさをずっと感じていて敬遠していた。
しかしながら、いざ鑑賞してみれば、これこそ日本の「ポップカルチャー」の源流そのもので。
本作には陰鬱な「戦争の背景」は微塵もなく消え去っている。
生まれも育ちも港区六本木の都会育ちで、老舗すき焼き屋「田能久」の倅でモロ「慶応ボーイ」でスポーツ万能でエレキも弾いちゃう「MMK」な男子「若大将」こと田沼唯一(加山雄三)のキレッキレな好青年っぷりは、まったく鬱屈したところのない「復興」としてアメリカナイズされた「新しい日本人」として描写される。
現代の目線から見ても、実に「資本主義」的な「個人主義者」であり伝統に対して無自覚的に敬意はない存在。
年齢的にもルックス的にも大学生に見えない青大将(田中邦衛)も、衣装は自覚的にジャン=ポール・ベルモンド譲りの「ヌーベルバーグ」的なアウトローを示唆している。
実際に「若者向け」として本作がマーケティングされている為、制作陣にもその狙いは強く意識されていたらしい。
物語としては、ご都合主義で取るに取らないものではあるが、むしろそのストーリーに起因することなく、映画が最もカルチャーの中心であった時代の、当時の風俗や、求められている偶像としてのスター性を加山雄三が全てを体現している。
その是非はともかく、エスタブリッシュされた豊かこそが美徳とされ、その憧れが新しい世代のスターを時代が求めた清々しさは、良くも悪くも日本が経済的に豊かになっていくことと呼応していて面白い。
同じくしてジェンダー的な問題にせよ、モラルの問題にせよ、これも良し悪しの問題ですらなく、日本人的な社会の構造や意識の矛盾や、時流への切り替え、流され方など、色々映り込んでいて面白い。