odyss

鷲と鷹のodyssのレビュー・感想・評価

鷲と鷹(1957年製作の映画)
4.0
【主演二人の男っぽさ】

昭和32年制作の映画。日本の映画がいちばん元気だった時代に作られた勢いが感じられる作品です。

いちばんの見ものは石原裕次郎と三國連太郎が男っぽさの競演をしているところでしょう。船を舞台に、ケンカあり、危機に際しての協力ありで、上半身裸のシーンも多く、日本が戦後の混乱期を抜け出して高度成長に向かいかけていることもあって、荒々しい男のカッコつけが粋に見えた時代だった。最近の日本映画ではこういうふうに男っぽさを露骨に打ち出すことができなくなっているのは、やはり寂しい気がします。

ヒロインの浅丘ルリ子がこの時17歳で、ちょっと痛々しいくらいに初々しい。月丘夢路が逆に年増女の色気を出していて、バランスをとっています。

筋書き的には、冒頭で中年の水夫が何者かによって殺されます。その長男である青年(長門裕之)が船の一等航海士を務めており、殺された水夫の代理で雇われた水夫がなぜか二人やってきてしまい、それが石原と三國で、二人とも素性がはっきりしないという設定です。冒頭の殺人の謎が船内に持ち込まれているらしい。このように謎を秘めて船は航海に乗り出し、また途中で別の謎が生まれるので、単に主演二人の男っぽさだけが売りなのではなく、謎の解明も映画のもう一つの主軸をなしています。

また、他の船員たちもそれぞれに悩みや事情を抱えており、船という閉じられた空間で一緒に暮らす彼らは、必然的に他人の事情と関わりを持たざるを得なくなります。その意味でこの映画には一種の群像劇としての要素も備わっていると言えるでしょう。

この映画には何人かの悪人が登場します。しかし必ずしも悪役的な登場の仕方をしていません。善と悪がそれぞれ何であるのか、赦しとは何であるかというテーマもこの映画の目立たないながら重要な一面です。ラストもたいへん後味がよく、様々な要素を盛り込みながらそれらを活かしきっており、大作と呼ぶにふさわしい映画になっているのです。
odyss

odyss