おそろしいほどの企みに満ちた傑作!
部屋がそのまま舞台にうつされ、スクリーンがそのまま舞台になり、観客は舞台で何が起きようとそれを「劇」として受け入れざるを得ず、また映画を見るという行為そのものを意識させる。
映画に「第4の壁」はありうるのか。
シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』も連想。
「役をはきちがえたり、相手役や見物に無理なつきあいを強いたり、決るところで決らなかったり、自分ひとりで芝居をしたり、早く出すぎたり、引っこみを忘れたり、見物の反応を無視したり、見物の欲しない芝居をしたり、すべてはそういうことなのだ。だれでもが、なにかの役割を演じたがっているがゆえに、相手にもなにかの役割を演じさせなければならない。ときには、舞台を降りて、見物席に坐ることを許さなければならないし、自分もそうしなければならない。」(福田恆存『人間・この劇的なるもの』)