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メアリー&マックスのmazdaのレビュー・感想・評価

メアリー&マックス(2009年製作の映画)
4.5
オーストラリアに住む8歳の女の子とNYに住むアスペルガーをもつおじさんが顔も合わせず20年以上文通する物語をクレイアニメで描いた映画。
全てが実話というわけではないが、監督自身が実際にアスペルガーをもつNYの文通友達と20年やり取りしてることから着想を得たらしい。とにかく素晴らしい話だった。

物語はキャラクターのセリフではなく、ほとんどがナレーションで進む。『アメリ』にもあったようなこの丁寧な人物紹介で描くストーリーの見せ方が大好きで冒頭から一瞬で心を掴まれる。金魚との数々のお別れなんかもアメリが飼ってた金魚の鯨を思い出した。
作中何度も流れる曲のこの世界に取り込む力がすごい。この曲だけでめちゃくちゃエモーショナルにさせる。

小学4年生の頃くらいから当時小中学生の間で人気だったコミニュティサイトのチャットで知り合った同世代の友達と文通してたことを思い出した。みんなGoogleやyahooのアドレスを持ってたから学校の友達とはメールでやり取りしてたけど、そのサイトでは文通でやり取りすることがなんか流行っていた。
今考えたら顔も見えないネットの世界で何日かやり取りした相手と、親にも話さず勝手に住所や学校まで教え写真やらプリクラやら送り合うなんて、小学生になりすましてる可能性もあるし普通にめちゃくちゃ危険な話なのだが、警戒心はかけらもなく東北、東京、西日本と全部で4人とやり取りしていた。
そのうち1人とは実際に会った子までいて会うとなった時初めて親に話して、待ち合わせ場所まで送ってもらったけど、特別心配したり驚く様子もなく中学3年生くらいまでずっと遊んだり文通したりしていた。

手紙で自分のことを話し、相手の日常を文面から想像することがとにかく楽しく、よく知らない相手だからこそ学校の友達や家族には話せないことを気軽に話せて、メアリーとマックスの心情をよく理解できた。
互いに飽きがきて4人とも自然消滅的にやり取りしなくなってしまったけど、今はどうしてるんだろうとか、大人になっても連絡を取り合ってたら面白かったなあと考えながら見てしまい、メアリーとマックスのやり取りの全てが感慨深かった。

どちらかというと感情的な私には、感情を表すのが苦手なアスペルガー症候群の心理描写というのは見ているだけでどうしても心がぎゅうぎゅうになる。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』もそうだ。
死んだ金魚を見て、何も感じていないかのような顔でトイレに流すマックスが、"悲しめたらいい"と思うところなんか涙が止まらない。そんな泣けないマックスに送るメアリーの涙は美しく、I'm sorryの文字を眺めその言葉にどんな感情が込められてるかじっと見つめて考えるマックスの姿も素晴らしかった。
彼の感情は複雑で顔を合わせても周りには伝わらないのだが、内側にものすごく葛藤がある。会ったことのない友達には表情で伝える必要がないからこそ心を開けるのだ。

作中メアリーがマックスに許可もなくアスペルガー症候群の心理についてマックスをもとにした本を出そうとして有名になり、マックスはそのことをとても怒るシーンがあった。
実際の監督の友人はこの映画をどう思ったのかがすごく気になった。実際の友人もマックスと同じようにアスペルガーを持っていて、こういう映画を作りたいと友人には話して許可をとっているようだけど、ちょっと複雑なきもちになった。
この監督にはアスペルガーを素材として利用し、これで有名になろうという下心がないのはわかりきっていることだが、それはメアリーだってそうだ。
すごく好きな話だったし、映画にならなければ知ることも感じることもなかったから見れて良かったことは間違いないのだが、率直な疑問として友人はこの映画をどう感じたのかだけが引っ掛かった。
メアリーの生きる世界はセピア、マックスの生きる世界はモノクロで描かれるが、メアリーがマックスに送った頭のポンポンだけは赤くモノクロの中で際立っていた。ブラックユーモア溢れる世界観が素晴らしかった。

私もどこか遠くの国の知らない人と文通したいけど、悲しい話や怖い話を聞きすぎて良くも悪くも昔とは違い警戒心をもつようになった。今の時代彼等のような友情は学校で友達を作ることよりはるかに難しいと思う。憧れる2人。
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