アルビノのたぬき

ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォーのアルビノのたぬきのレビュー・感想・評価

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ゴダール/トリュフォー作品鑑賞へのモチベを上げるための取っ掛かりとして観たんだけど、代表作のラストシーンとか全然容赦なく流してくるし、まあ普通に作品観た後に観たほうが良かったっぽいな 

それでも彼らの作品を鑑賞する上での基本的な予備知識というか、ヌーヴェルヴァーグの栄枯盛衰の潮流をざっくりとした流れで捉えることが出来たし、政治的価値観の相違によって決別した彼らそれぞれの映画制作のスタンスを事前に知れたのは良かったと思うので、結局ネタバレ耐性ある個人としては先観ておいて正解だったのかもしれない

作品全然見てない分際でアレなんだけど、映画作家としてのスタンスに関していえば、個人的には断然ゴダールの姿勢に共感するというか、全ての創作者は芸術が現実/社会に及ぼす影響に対して常に自覚的であるべきだと私は思う。

映画芸術の政治的役割を完全に放棄した日本映画産業の在り方を何よりも嫌悪している(だから私は絶対的なエンタメであることと社会的なメッセージを両立させ共存させる韓国映画の巧みさと誠実さを愛し、それに救われているのだ…)者として、芸術は常に我々の生きている社会と地続きにあるということを決して忘れないでいたい。そういう姿勢で芸術と向き合いながら、自分の表現に責任を持って創作を続けていくことが、芸術に対する私なりの誠実さの表明だ。

まぁ、芸術を政治利用すんな/ノンポリ気取んな の二項対立で決別しちゃうのマジで致し方なしというか、どこまで行っても交わらん、あまりに決定的な価値観の違いだからなー

それでも「映画が現実を発見させてくれたし、現実が映画の作り方を変えてくれた」というゴダールの言葉を聞いた後だと、ただ映画あるのみ。というトリュフォーの態度は個人的には全然信用できない。芸術と政治/社会はいつだって相互に影響し合うものであって、決してそれだけで独立しているわけではないし、それは彼が引き合いに出していたマティスだって例外ではないと思うんだけど。
現実と完全に切り離された芸術なんてあり得んし、あり得たとしてそれは芸術足り得るのか?とすら私は思ってしまうのだけども、映画への愛に生涯を生きたトリュフォーの映画を観たら「“美のための他者に尽くすための芸術”」が、私にもわかるようになるだろうか。