「奇跡の丘」
無心論者であるピエル・パオロ・パゾリーニが、ナザレのヨセフと聖母マリアの出会いと処女堕胎からキリストの栄華と磔刑、そして復活までを「マタイの福音書」に基づき映画化した作品。
モノクロで描かれるキリストの物語はカラーかつバイオレンス描写が売りともされている「パッション」よりも衝撃的だった。モノクロで描かれることにより、物語やイエス自身のカリスマ性に目が行きやすく、余計な先入観を持たずに観ることが出来るからだろうか。
登場人物は全員素人の俳優を起用しており、イエスに至っても大学生、聖母マリアに関してはパゾリーニの母が演じているらしい。また、アフリカの音楽や黒人霊歌などの音楽が違和感なく流れているのも特徴的。
無神論者が世界で一番有名な宗教家の物語を映画化したのだろうと疑問に思ったが、本作ではイエスを革命家として描いており、神の子という観点よりは1人の人間として描いている。
イエスが冷静で、高潔な男というイメージがあった僕が、違和感を感じたのはこのことからかもしれない。それでも民を引き連れ、権力者にも物置せずに批判を浴びせられるカリスマ性はまさに時の指導者の様な存在として感じられた。
またイエスの仲間であることを指摘され否定するペテロやイエスの行いに疑いを持ち裏切るイスカリオテのユダもまた人間的で、2000年前も今も変わらぬ人間の根本を描いている様なキャラクターだった。聖人として祭り上げられている人物を彼らも人間であるという視点から見ることがパゾリーニの意図したことなのかもしれない。
(追記)
解説を読んだが、世俗的な人間化することも聖人画にあるような過度な神聖化をすることも避けつつ、民衆の英雄としてのイエスを描くことがパゾリーニの意図だったらしい。
また本作では、イエスは自分の発言を聞かせるばかりで、民衆の声を聞こうとはしない。心優しく慈愛に満ちたイエスの像とは全く異なる。
この理由として、パゾリーニが描きたかったのは孤独と挫折を抱えたイエスであったことが挙げられる。イエスの栄華にばかり目を向けるのではなく、彼に暗い一面にスポットライトを当てたかったらしい。
その面を考えると四福音書の中で、またマタイを映像化したのは至極当然のことらしい。マタイがイエスの内なる暴力や孤独を一番捉えることができ、パゾリーニが意図したイエスの像を映像化するにぴったりの題材だったわけだ。
【引用】付録ブックレット 著:四方田犬彦