垂直落下式サミング

執炎の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

執炎(1964年製作の映画)
2.1
ロケーション撮影で、海、山、雪、月、花、男のふんどし、藁ぶき屋根の家並、能楽など、つましくミニマムな日本的美観をモノクロのフィルムに収めている。
本作は、広い意味での反戦左翼映画であるが、考えてみれば「美しい日本」というものは、なにも右傾的な復古国粋主義の専売特許というわけではなく、どんな主張の作品であろうとも、それを撮ることは悪いことではない。
それはそうと、戦争だからといって国民の人生を犠牲にさせて国家に尽くさせるのは、最悪な時代だ。
ここから下はインチキ臭い国民の戯れ言だと思って読み飛ばしてくれてかまわないが、たとえ荒事に足を突っ込もうが最も大切なのは国民であって、既存の国家体制の存続なんざ些末なものだと思う。首相なり王様なり何なりの首をすげ替えることで多くの国民が生き残れるなら、喜んで差し出すことにしよう。
戦争になんて負けたっていいし、人が生きれるなら国家なんて滅んでかまわない。自分の生活と国が秤にかけられるなら、喜んで国の方を切り捨てよう!この心意気、コレが大事だ(国賊)
そんなわけで、小市民の目線から時代を批評していく物語には大いに賛同するが、映画としてはなんとも言いがたい作品だった。序盤だけかと思ったら、けっこう中盤の方まで状況説明のナレーションが続いて、頭が痛くなってしまう。ヌーヴェルバーグ影響下の作品によくありがちな、原作をあまり工夫なく映像に置き換えた「みて読む小説」の域を出ない。
やたらとオーバーラップを多用してシーンとシーンをクロスフェードさせるが、これも普通に観にくいので感心しない。今や素人編集のホームビデオでもダサすぎて使わないからなあ、正直キツい。
印象的な流れるような横移動や、町中を歩く人物をはるか頭上からとらえた引き画、列車をとらえる視点が変わっていく目を見張るショットなど、素晴らしい情景は複数あるものの、それが連続した意味をもって語られない。私があまり好きくないタイプの映画だ。美術的ではあるが、演劇的でない作品だと感じた。
本作の見所は、やはり浅丘ルリ子の美しさ。若い頃から狂おしいほどミステリアスな雰囲気が持ち味の女優だったのだと、さらに大女優になってからの彼女とは、また違った表情を知ることができた。