三四郎

愛より愛への三四郎のレビュー・感想・評価

愛より愛へ(1938年製作の映画)
4.8
誰だって夢を見てる時に夢だと気づきはしない。
テンポよし歯切れよし科白よし。松竹蒲田・大船調を確立した島津保次郎監督の名作の一つ。
妹・高峰三枝子が兄・佐野周二のアパートを訪ねた際の洞察力表現の描写と言い、映画の中で映画を見せる演出と言い、もう何もかもが秀逸だ。さらにハッピーエンドときている。なんと幸せな気持ちになれる作品だろうか。欠落しているからかもしれないが、日本映画にしては非常にテンポの速い単純明快映画になっている。

さて、帝国劇場へ映画を見に行くシーン。上映されているのは、ベルリンオリンピックの映画『オリンピア』の『民族の祭典』と『美の祭典』を合作編集してあるものだ。1938年には日本に配給されていたことが分かる。一般公開は1940年だが。
上映後の会話が見せ場だ。
「あー、良かったわ!」「なーんだ、あんなつまんないもの」ピアノを弾く藝術肌の妹にはわかるが、売れない原稿を書く作家志望の兄にはこの映画の藝術的良さが分からないのだ。それが表現されているように思う。
煙草を吸おうとする兄に対して「お兄様、お煙草お廊下よ」そして数分後席に帰ってきた兄妹の会話。「今度はきっとおもしろいわよ~」「なんでわかるんだい?」「んー、なんとなくそう思うの」「じゃ、なんとなく見ておこう」妹の兄への肘鉄。「お前悪くなったなー」「はばかりさま」「はばかりはお廊下よ」科白が実に凝っている。

この作品は終始一貫して最高なのだが、明らかにカットされている。15分ごろの高峰三枝子が登場するシーン「おじさま…」と正座でお辞儀する場面で音声が切れ、次のシーンがあまりにも唐突に始まっている…。そこが残念。何故カットされているのか…。

ドラマ性に欠け、藝術的センスに乏しい映画だと批判する人がいるかもしれないが、それは間違いだ。映画は単純明快でいいのだ。
凝った作品ほど疲れるものはない。装飾できらびやかに飾り立て、中身の乏しいもの、藝術性を気取り観客を置いてけぼりにするもの、頭を使わせようとするもの、監督の趣味・嗜好に走っている複雑怪奇な作品…。
それらは「観たい」という欲求を起こさせない。一度観ればもう十分だ。一度観て「結構」と思う映画は概して単純明快ではないのではなかろうか。単純明快な映画こそ惹きつけられ、観るたびごとに新たな発見があるのではなかろうか。
映画はやはり最高の藝術であると共に最良の娯楽なのである。
「一夕の気晴らし、お楽しみ」


2010年のベルリン映画祭で島津保次郎監督の『婚約三羽烏』『浅草の灯』『愛より愛へ』が特別上映された。戦前の日本映画近代化の立役者として敬意を表しての上映だったということらしい。何故、『隣の八重ちゃん』『家族会議』『朱と緑』『兄とその妹』ではなかったのだろうか。全て傑作なので島津保次郎監督の良さはどれを上映しても伝わるとは思うが。
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