Fitzcarraldo

雨に唄えばのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

雨に唄えば(1952年製作の映画)
2.2
Gene KellyとStanley Donenの共同監督で、ミュージカル映画のスタンダードとして知られている名作中の名作。特にジーン・ケリーが雨の中で”Singin' in the Rain”を歌いながらタップダンスを踊る場面は、映画史に残る名シーンとされているのだが…

本作を見たことがなくても、このシーンだけは見たことがあるという人も多いと思うが…
私もそのうちのひとりなのだが…

いざ本編を見ると残念なくらいこの世界観に入っていけない。もともとミュージカル映画が苦手な意識はあったのだが…もっともっとエモーショナルなシーン展開で、このシーンに突入するのかと思ったら、割にあっさりとスッとはいっていく感じがして…

サイレントからトーキーへと移行し始めた映画技術の転換期を背景に、スターたちの恋愛模様を描いているのだが…

このスターたちというのが、どうにも鼻持ちならない。この人たちに感情移入が全くできない。

のっけから映画界の大スターであるジーン・ケリー演じるドン。いかにもなTheスター描写にどう寄り添っていいものか…こんなにも、すべてにおいて満たされてる男の恋愛模様なんか見たいか?

常に上から目線で語られてるような気がして、あまりいい気持ちしないんだけど…

映画界の大スター=天上人というか…
一般人とは全てにおいて違うよ、というものすごく嫌味ったらしくも感じてしまった。

これは僻みやっかみの一種なのか…。

Debbie Reynolds演じる売れてない駆け出しの女優キャシーとの恋仲というのも…ピュアなものには見えない。なにかしらスターという地位が働いているようにも見えるし…。

そもそも二人が恋仲になった理由も曖昧。

特に距離を詰める要因となったものが描けてないのに、いつの間にか好き同士になってる摩訶不思議アドベンチャー。

なので雨の中の名シーンはスベリ倒しているというか…冷えきった目で見つめるしかなく…

唯一の救いが、ドンの親友であるコズモを演じたDonald O'Connorであろう。

小さい頃からドンとコズモは一緒にやってきたのに、なぜかドンだけがスター扱いされて、コズモは、しがない音楽係。このヘンの都合もよくわからないんだけど…

しかも、どう見ても二人の年の差は10以上離れてると思うのだが、少年時代の回想では、ほぼ同年代の設定。同じような背丈で…このヘンも、いい加減というのか、都合良いというのか…

ジーン・ケリーの角張ってガッシリとした男らしい顔も、ジョン・ウェインのようなパワハラ感を匂わせてしまい好きになれない。それがまた自分だけ大スターになってるもんだから、余計にそう感じてしまう。

なので、終始ドナルド・オコナー視点で見てしまう。個人的には彼のひとりタップシーンの方が、映画史に残る名シーンと言われる雨の中のタップシーンよりも印象的である。

音に合わせて何パターンも即座に顔を変える顔芸も、昔ながらのコメディアンという感じがして秀逸だったし、壁を駆け上がりバク宙するジャッキー・チェン的な動きも遜色なく、ほんとに器用で何でもできる人だなぁと感心する。

これだけ何でもできる人っていまいるかな?

Jean Hagen演じるサイレント期の大女優リナ・ラモントのキーキー声が聞くに堪えない。

”My Fair Lady“(1964)のAudrey Hepburn演じたイライザの声も聞いてるのがしんどかったけど…この大女優リナの声もホントにウザい。

この声をわざと出してるんだから、そう考えるとうまい女優さんだわな…イライラさせるツボをおさえてる。

極稀に現実世界にもこういう声を放つ女性がいるからなぁ…好きなタイプは?って聞かれてパッと答えられないけど、リナ・ラモントみたいな声の人は絶対にイヤだと答えることにしよう 。
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