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武士道残酷物語のAutomneのレビュー・感想・評価

武士道残酷物語(1963年製作の映画)
3.6
パッケージ化された昨今の“Samurai”じゃなくて、一個人としての人間を描いた侍であったのでじめじめしてて良かった◎
『ラストサムライ』的ポップで現代化された分かりやすいほうじゃなくて、『人情紙風船』『忠次旅日記』『残菊物語』あたりを彷彿とさせる下級武家身分(残菊は違うけど笑)と封建制の苦しみを描くのが、昔の時代を知るものが生きていた頃につくられたトラディショナルな作品としてよくできている。

やはり南條範夫なのでモチーフや諸々が『シグルイ』を想起させるものばかりでその意味での新しさはなかった。言ったら封建制なんだけれど、サラリーマン気質の人間が多い日本=そういった封建制にDNAまで犯されてしまった人々が多いからなのかなあと頷ける。その意味で私は日本人らしく生まれてこれなかったので共感は得られず。ただ同じことの繰り返しかつ代を経ても人間が成長していないのでそこにはリアリティがないなあと思っちゃう。

何百年単位でNTRの繰り返ししてもただ過激ですってだけでそれ以上の物語的"何かしら"を感じることができないし、このスタンスはほんとに不条理劇の自己満映画でしかないなあと思っちゃって入りきれない。どう考えても『シグルイ』のほうが面白いし、比較できたことで漫画家としての山口貴由の演出力の高さを思い知った。

不気味なショットや人間の表情があるのは映画として良いけれど、それにしても一家の歴史がレ◯パーに仕え続けて何百年とか悲しすぎるでしょ。というかそもそもあれだけの記録がのこっている家というのは、日本でいうと旧華族家以上か伝統芸能の家とかなのが現実だし、和紙は昔高級だったのであんなに残らないような記録ばかりがのこっている家は存在しないんだよな。日記を綴る家系なのだとしたら一度でも綴る場面を描かないと結局現代の創作ぢゃん🥵となって冷める。

侍にとっての家系図や記録って、それを残すことで家訓としたり後代への学びにすることで同じ過ちを繰り返さないという意味があるのだけれど、ほんとに遺伝子として受け継いでるの?ってくらい主人公の家系の人間に成長がなくて笑った。だとしたら記録して伝え続けた意味もなくなっちゃうし、たとい下級身分でも日記が好きで記録が好きで綴り続けた家なのであれば、そこのところの継承の大切さだったり二度と同じ悲劇や苦しみを繰り返さないという物語ることの大切さを、子孫に絶対に語り継いでのこすはずである。

これは現代日本においても未だ言えることなのだけれど、古い家ほどたくさんの悲劇や過ちの中で生き延びてきた歴史があり、故に代を経るごとに過去から歴史からきちんと学んで繁栄するはずなんだよな。カルマが収束してない感じが見てて不憫すぎるし超モヤモヤする。あの家自体が学び続け世界をより良い方向に変えてゆこうとする意志がなく、ただただ自分の感情になよなよしちゃってるだけなんよな。そんな家は記録残ってないんですよ、なぜならその程度の家だからです。という簡単な話。でもこれは昨今の陰湿系エモい映画にも続いている日本人のサラリーマン封建マインドの脆弱さとしての伝統芸なのかも。

とどのつまりギミック的に作り手がやりたかったんだろうなあとは思うんだけど、"残酷物語"というフォーマットの不条理劇にしてしまったせいで論理的に破綻してしまったのが目立った。そこの破綻が結構気になってしまった。ヒューマンを描こうとしたのに結局ただ残酷な"だけ"の自己満になってしまってとても勿体ないな。(でもそれが海外の"アート系"にウケたのはすごく分かる)

けれど『シグルイ』という名作漫画を生む端緒となったことに対してはこの映画に最も価値がある部分だと思う。以上です
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