Fitzcarraldo

キリング・フィールドのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

キリング・フィールド(1984年製作の映画)
3.0
米紙ニューヨーク・タイムズの特派員として、ポル・ポト派によるカンボジアの首都プノンペン陥落に関する報道をしてピュリツァー賞を受賞したSydney Schanbergと、通訳のDith Pranの交流をBruce Robinsonの脚本で映画化し、第57回アカデミー賞(1985)撮影賞(Chris Menges)、編集賞(Jim Clark)、助演男優賞(Haing S. Ngor)の3部門を獲得したRoland Joffé監督作。


1975年のカンボジアがどういう状況であったかという背景を知らないと、ちんぷんかんぷんになってしまう。この映画を見れば時代背景までもが学べるといった類のものではない。全体状況が全く描かれないから、とにかく分かりにくい。

いま誰と誰が戦っているのか?
誰が味方で誰が敵なのか?カンボジア国民は、どちらを支持してるのか?クメールルージュは何がしたいのか?

何も知らないで見ると、よくわからない。
いま、どういう状況?と首を傾げるばかり。

当時のカンボジアはアメリカを後楯にしたロン・ノル政権と、反米・救国を旗印に掲げた革命派勢力クメール・ルージュとの闘いが表面化した時期であったということくらいは知っておかなくてはならない。

ベトナム戦争が泥沼化していくなかで、カンボジアを経由する北ベトナムからの南べトナム解放民族戦線(ベトコン)支援ルートであるホー=チ=ミン・ルートを遮断するという狙いから、アメリカ軍はカンボジアに侵攻。

さらにラオス愛国戦線の活動を抑えるため、アメリカはラオスを空爆。これによりベトナム戦争はベトナム以外のインドシナ半島に拡大され、第2次インドシナ戦争に突入。

1973年ベトナム戦争のパリ和平協定が成立。
アメリカ軍はベトナムから撤退、北爆も停止したのだが、カンボジアにおける親米政権ロン=ノル政権は共産勢力であるポル=ポト派に追い詰められていたので、アメリカはポル=ポト派をたたくためカンボジアの「解放区」への空爆を再開する。73年2月~8月の半年間に投下された爆弾は25万トンに達し、「この量は第二次大戦で日本に投下された爆弾の1.5倍にあたり、被爆地区を石器時代に逆戻りさせた」
<冨山泰『カンボジア戦記』1992中公新書P.26>
それでもポル=ポト派を壊滅することはできず、1975年4月にポル=ポト派がプノンペンを制圧してロン=ノル政権が倒れる。

こんなことも当たり前によくわかっていなかった自分が情けない。やはり歴史は縄文時代とか弥生時代とか言う前に、新しい近代のことからやっていくべきだと思う。

ベトナム戦争まで辿り着けたことない。

この映画の公開当時は、みんな当たり前に背景を知っていただろうから、説明する必要もなかったのだろう。言わずもがな…といったところか。
やはり無知だと恥ずかしい。


ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグを演じたSam Warterston。彼の演技は芯を食ってないというか…役柄の所為なのか…剥き出しのジャーナリズムが何だか嘘くさくて仕方がない。なぜそんなにムキになっているのか伝わらない。ムキになればなるほど偽善者のように見えてしまうのは役者の所為?単純に顔が嘘くさいのか…?キャスティングミスな気がしてならない。

それに引き換えアカデミー助演男優賞を獲ったHaing S. Ngorが演じたディス・プランという男は素晴らしい。

現地の言葉に字幕をつけないのもまた素晴らしい演出プランだと思う。何を言っているかワカラナイという状態を見ているコチラ側にも求めてくるのは素晴らしい選択だと思う。


プランがシドニーへ
「君は家族同然だ」というが…
そこまでの交流関係に全く見えません。

通訳としての雇用者と雇用主という関係くらいにしか見えないのよ。ここが肝でしょ?ここが家族同然に見えないというのは取り返しのつかかない大失態だろ…。

誰がどう見ても家族同然に見えるような説得力ある描写を見せないと…。



アメリカ大使館を捨てて避難する状況のなか、それでも残るという大仰なジャーナリズム精神がコチラには全く伝わらない。そうまでして残ってシドニーは何がしたいのか?何を報道したいのか?どんなことを世界に伝えたいのか?

自分が残って報道し続けたその結果、どうなることが自分にとっての理想なのか?その理想を叶えるための手段が、現場に残るという選択だったわけだよね?この点が、とっても不明瞭なんだよなぁ…


さらにクメールルージュの戦車に詰め込まれて、拘束されたのに、なぜ何もされずに解放されたのか?それもよくわからない。キミたちは何がしたかったの?何のために拘束したの?こういう意味のない行動は、させない方がいいんじゃない?ノイズになるんだよね。

解放するなら、それなりの理由をつけてほしい。特に説明しないのなら、このシーンにしなくてもいいと思ってしまう。


解放されて車を押して歩くシドニーたち。
この時に、半端じゃない数の市民も思い思いに大移動しているのだが、これみんなエキストラ?民族大移動かというくらいの数いるけど…これだけの数がいると圧巻!


○フランス大使館
偽のパスポートまで作ってプランだけを必死に助けようとするのだが…いや、そもそもアメリカ大使館が撤退した時に、シドニーが意固地に残ったからいけないんじゃない?あそこでプランの家族と共に君も避難しとけば、なんの問題もなかったやん。

残った暁には…それに見合う仕事した?
世界にセンセーショナルを与える記事書いた?
逃げまどってるだけにしか見えないよ。それなら、ハナっから逃げとけよ!と思ってしまう。

アンタに振り回されてるやん。


「(シドニーへ)なぜ彼を逃がさず一緒に連れてきた?君は身勝手だ!」

そうなんだよね。おっしゃる通りだと思います。

プラン
「僕も記者だから分かる。彼は兄弟同然だ。彼のためなら何でもする」

んー苦しいねぇ…そうは見えないのだよ。


結局…
追い出すのかよ…なんやねん。


カンボジアに残されたプラン。
強制労働の日々。

牛の首筋を鋭利な石で裂き生血を啜るプラン。
こういうシーンは体験者でなきゃ書けないと思う。

いよいよ脱走するプラン。

稲を植えた水田の泥の中に身体を沈めて這って逃げ出す。おもいっきり口も泥の中に浸かってる。これ身体に異変起きないのか?ケツの穴からぎょう虫とか侵入しそう…

白骨化されたものや、白骨手前の段階の死体が山ほど転がる沼を通るプラン。

そこへカットが変わると華やかなパーティー会場のシドニーへ繋ぐ意地悪な編集。

1976年 最優秀ジャーナリストを受賞しスピーチをするシドニー。

どのへんが最優秀だったのか見ていて全く伝わらなかった。あの状況をどう書いて世界に伝えたのか?それが説得力に繋がると思うのだが…
結果だけポンと見せられても納得し難い。

んん…さらにスピーチの様子を見てると、どうもジャーナリズムというより功名心でやっただけのように映る。こういう高いところにあがるために全てやったように見えてしまう。


○トイレ
パーティー会場のトイレ。
シドニーと、John Malkovich演じるアルが入ってくる。

アル
「感動的なスピーチだった」

シドニー
「アル!来てたのか?」

アル
「気に食わない」

シドニー
「なにが?」

アル
「プランを引き止めたのは賞が欲しかったからだろ?」

シドニー
「そんなこと…」

アル
「とぼけるな!図星だろ?」

シドニー
「できることはすべてやった」

アル
「とにかく会えてよかった」

シドニー
「手は尽くした」

アル
「だろうな。会いに行ったか?」

シドニー
「入国できないのは知ってるだろ?行けるなら、とっくに行ってる!写真を何百枚も送った。国境沿いのあらゆる救援組織に…かすかな望みでもあれば飛んでいく。でも人生は映画と違う。現実は甘くないんだ!君に避難されるとは!」

アル
「おめでとう」

うん。まさにアルの指摘通りに見える。
どうしてもシドニーの言動には感情移入ができない。まさに賞が欲しかっただけに見える。

これは敢えてなのか?アルにド正論を言わせるのは製作側もそう思ってる?シドニーを糾弾する映画なの?狙いが…よくわからない。


記者
「あなた方ジャーナリストがクメールルージュの残虐性を甘く見たという批判もあります」

シドニー
「誤算だった。70億ドルの爆撃が、あれほどの狂気を生むとは」

ユーモアと皮肉ある返しだろ?という決め顔のシドニー。なんやそのドヤ顔は?そのドヤ顔が腹立つし、全然うまいこと言えてない。


○カンボジア
せっかく逃げ出したのに、丸見えのところで寝てるプラン。気を失ったの?
我慢して、絶対に失敗しないように慎重に慎重を重ねて逃げ出したはずなのに、そんな丸見えのところで倒れるか?牛の血を啜る男だよ?倒れないように前段階で対策は取るはずだけど…

寝てたとしたら、間抜けすぎるだろ?

これも全く説明なし。

全てを説明する必要はないが、ここは何かしらの説明がほしかった。


ラスト…。

言わずもがなJohn Lennonの名曲”Imagine”のもつ圧倒的なチカラに泣かされてしまった。
うっすらと聴こえる…からのドンッ!で、涙腺崩壊。

しかし、腑に落ちないところも多々あるために涙は曲の終わりとともにスーッと去っていく。

意外にもあっさりとした再会というか…抱擁も中途半端な抱擁というか…やっと会えた!会いたかった!という熱いものを全く感じない!

これは全編を通じて兄弟同然に見えなかったことが要因だろう。

あと…オメーひとりで来たのかよ!というのもノイズになってしまった。なぜ家族を連れて来れなかったのか?ここは現実と違ってもいいから家族必要だったんじゃない?なんだかなぁ…破壊された町の描写とか、爆風食らってるんじゃね?というくらい至近距離から爆発させたりとか素晴らしい描写も多々あるんだけど…

いかんせんシドニーというキャラクターを好きになれなかった。最後の最後まで…ふてぶてしさが抜けなかった。
Fitzcarraldo

Fitzcarraldo