風に立つライオン

東京裁判の風に立つライオンのレビュー・感想・評価

東京裁判(1983年製作の映画)
4.0
 1983年制作、小林正樹監督、小笠原清・小林正樹脚本による極東軍事裁判の記録フィルムを全編使用したドキュメンタリー映画である。

 長きに渡って日本の歴史教育実態に疑問を持っていた。
 なぜ明治維新以降の近現代史が希薄で片手間的になっているのか。
 原爆が落とされたぐらいの記述はあるものの日清、日露戦争、韓国併合、満州建国、日中戦争、第二次世界大戦の勃発と終息の顛末、復興と経済成長などについての事実記述がほとんどされていないのが不思議でならない。
 別に私は右翼でも左翼でもなく普通の日本人であると思っている。
 歴史認識における何処ぞの国の批判を恐れているのかどうかわからないが、それならそれで我が国はこう、某国はこうと見解・認識を併記すればよい。

 現代の日本の若者達がトルコに旅行するとトルコの人々がやけに親切で色々な歓待を受ける事に驚いたとの感想がある。
 トルコの国民は1890年にトルコ軍艦が和歌山県沖で遭難にあった際、日本人が荒れ狂う台風の中、必死の救助活動で多くの人命を救ったことを知っている。
 また、19世紀末の欧米列強国に対して「不平等条約」解消に向け日本が共闘した事を知っている。
 そして20世紀初頭にロシアが南下政策の一環でトルコの北部半分まで侵攻して来た最中に、日本海でロシアのバルチック艦隊が日本によって打ち負かされたことによりロシアがトルコから撤退した事を知っている。
 トルコの国民はこうした事を教科書で語り継いでいる。
 そうしたことが背景に1985年のイラン・イラク戦争勃発時にトルコ政府は日本政府より早く旅客機を出しイランの日本人215名を救出しに行くのである。
 日本人が何も知らずに「シシカバブーが美味しい」とだけ感じていてはならないのである。


 兎にも角にも本編は満州段階から始まって終戦に至るまで記録フィルムを交えて克明に描いており、私はこれを中高校で数ヶ月かけてでも授業体系に盛り込めばいいと思っている。

 司馬遼太郎言うところの所謂司馬史観においては「誠に小さな国が開花期を迎えようとしている」というその日本が欧米列強に背伸びをして肩を並べようと明治維新を経て日清・日露の戦争に勝利するに至る。そして史観が示す楽天の明治から狂気の昭和が始まる。主導者たる薩長を中心とした軍閥はその勝利の亡霊に憑かれたまま太平洋戦争に突入していくこととなったのである。

 この第二次世界大戦の敗北を以て日本は明治維新以降の帝国主義からマッカーサーの帝国となっていく。 
 マッカーサーが戦後行った改革は現代日本を構築する礎となっていることは間違いない。
 ・婦人参政権付与
 ・財閥解体
 ・農地解放
 ・経済の民主化
 ・秘密警察の廃止
 などである。
 結果的には太平洋戦争の敗戦は膨大な犠牲を伴った民主化革命と言えるかもしれない。
 
 
 東京裁判で特に興味を惹かれた点、疑問点を以下に挙げてみる。

①下敷きとなったのはドイツを裁いたニュルンベルグ裁判であるが、いずれも戦勝国が敗戦国を裁く構図で、戦勝国の恣意的な法理を基盤にしており、報復の手段と化す可能性がある、或いはその疑義がもたれるものであり、裁判の公正がそもそも損なわれている以上被告は全員無罪である。
 これは国際法の大家である判事団の一人パル判事の見解である。 
 これは管轄権問題を提起したものであるが、日本側弁護士ジョージ・A・ファーネスも真に公正な裁判を行うのならば、戦争に関係のない中立国の代表によって行なわれるべきで、勝者による敗者への裁判は決して公正足り得ないと主張している。
 この問題に対する裁判所の見解を後日述べるとしたウェッブ裁判長であったが、最後まで発表されなかった。
 出来なかったのかもしれない。

②日本側弁護士のブレークニーは指摘する。
 国際法に則った交戦方法をとっている以上、合法的な殺人であり、殺人罪には問えないはずだ。
 また、実行時点で適法であるものを事後法で刑事責任は問えない。
 さらに、国家の行為である戦争について個人責任を問うことは法律的に誤りである。
 なぜならば国際法は国家に対して適用されるもので個人に対してではない。

③同ブレークニー弁護士の驚嘆すべき発言がある。
 「真珠湾攻撃が殺人罪に問えるならどの国の誰が原爆をこの国に落としたかを私は知っている。
彼らは殺人罪を意識していたはずがない。
 投下を計画し、実行を命じ、それを黙認した者がいる。
 その人達が今裁いている」
 と。
 この件は裁判記録からは削除されているが、この映画にはその発言の瞬間が映し出されている。
 原爆投下から間もない時期にこの発言は法廷を動揺させた。
 また、被告達もアメリカ人弁護団は公正を装う為だけのものと考えていたが、日本人弁護団以上の舌鋒の鋭さに驚いたと同時に、この裁判の公正を要求し、裁判の欠陥を突いて止まなかったアメリカ人弁護士の度量の深さを痛感したとある。

④被告が28人であったのは単に席が28しかなかったという事実。
 帝国陸軍きっての知恵者で国内問題を解決しようと「満蒙領有計画」を立案し、満州事変に深く関わったとされる石原莞爾は自分が法廷に呼ばれないのはおかしいと述べている。
 膀胱癌の為で山形県酒田市に出張法廷が設営され、そこで検察官から「あなたは東條と意見が合わなかったそうですね?」と聞かれ、こう答ている。
 「私には意見も思想もあるが東條には意見もないし考えもない。
 そんな奴とどうして意見の衝突があり得ようか、それは愚問である」と。

⑤「殺人に対する共同謀議」という訴因を提起している点。
 実態は被告の中に初面識の者がいたくらいで、軍部の暴走により、ろくすっぽ準備も出来ていないなかで戦争が始まったというのが被告全員の認識である。
 それを共同謀議で断罪するのはナンセンスな話である。

⑥アライメント(罪状認否)は英米法特有の手続きで、被告達は初めて目にすることとなるが、被告達の殆どが無罪主張を潔しとしていないにもかかわらず全員が無罪主張をしている点。

⑦ウェッブ裁判長は天皇責任追及姿勢であり、マッカーサーの天皇免責の意図を理解していたキーナン主席検事は東條への尋問において誘導尋問したにもかかわらず、東條は誰が戦争を遂行したのかという問いに「陛下の大御心に背くようなことはない」とつい答えてしまう。
 この発言を見逃す筈がない、してやったりのウェッブ裁判長が天皇責任追及の糸口を掴んだと思いきや休廷に入る。
 開廷後キーナンは東條の発言を撤回させ、軍部暴走路線に舵を取ろうとする。
 マッカーサーから天皇訴追を止めるよう指示があったことは明白で、背景に日本親派の知識人から日本人は天皇制と不可分に存在している民族でそれを利用して占領政策を推進した方が得策との進言があったからだと言われている。
 ウェッブ裁判長はどたまに来て国(オーストラリア)へ帰ってしまう。

⑧内務大臣であった木戸幸一(長州の桂小五郎たる木戸孝允は大叔父)のつけていた日記(木戸日記)が実態を克明に書き記したとして重要証拠物として検事側に分析研究されている点。
 実態としてもそこには天皇主導でなく軍部が暴走していたことが明白に記されていたようだ。
 護送バスの中で被告の誰かが木戸に対し「この大バカ野郎が‼︎」となじったらしい。

⑨実質的に裁判の行方は全てマッカーサーの意図に委ねられていたと言っていいが、ソ連の要人が後半から多く詰め掛けるようになる頃から、マッカーサーはソ連の台頭を危険視して早目にアメリカのコントロール下に置いて共産色を排除したかったのではなかろうか。
 キーナンに天皇免責方向へと誘導尋問させたことなどを考えると辻つまが合うのである。
 案の定、ソ連は満蒙国境問題に端を発するノモンハン事件を動議にて持ち出して来たが、却下されている。
  
⑩東條英機はマッカーサーからいの一番に戦犯指名を受け、MPが連行しに自宅に赴いた時に拳銃自殺を図るが、急所を外れ米兵十数人の輸血により一命をとりとめている。
 阿南陸軍大臣のようになぜ潔ぎよく切腹しなかったのかと思うが彼は江戸の能楽師の家の出であり武士ではない。
 戦争末期には海外での武官経験あるエリート同僚を玉砕確実なサイパン(斎藤中将)や硫黄島(栗林中将)などに送り込んでいる節がある。

⑪マッカーサーが専用機バターン号でコーンパイプをくわえながら厚木に初めて降り立った日、出迎えたマイケルバーガー中将にいの一番に耳元で囁く有名な記録フィルムがある。
 あれはこう言っている。
 「731部隊の石井中将は何処にいる?」と。
 特に中国大陸で人体実験を含め細菌兵器研究を重ねて来た石井中将とその配下の研究者達は何故か一切訴追されていない。
 これは彼らが持てるデータをソ連も虎視眈々と狙っていた中、アメリカに対して訴追免除と高額買取のバーター取引に利用したことに他ならない。ソ連を出し抜く為に秘密裏に迅速に行われたことが後の調査で明らかとなっている。しかし、金を貰っていい思いをしたのは731部隊の上層部だけで多くの研究者はこの点を妬んでいたようだ。

 余談であるが戦後間もない時期にあの帝銀事件が起こっているが、青酸カリが毒物として使われたと言われている。実際は遅効性の毒物であったことが判明していて、この特殊な毒物を扱っていたのはこの731部隊であったことが判明しており、警視庁は早い段階で旧陸軍の731部隊の元兵隊(研究員)にあたりをつけていた。ところがGHQの介入により捜査が中断させられ、その直後に平沢氏が犯人として挙げられている。
 バーター取引で貴重な人体実験データを手に入れていたGHQは、この点をほじくり返えされたくなかったのは間違いない。

⑫冒頭のパル判事はその見解により、靖國神社遊就館や京都の霊山護国神社に幕末の志士達の墓石に混じって顕彰碑が祀られている。
 彼は日本が侵略国家でないことを主張していた数少ない法律家ではあったが、こうも述べている。
 「日本が大陸でやったことを正当化する必要はない」
と。

 以上のように実に興味深い点が多々あり、現代日本の有り様を決定づけている事象が網羅されていると言っていい。
 また、何故某国で反日運動が盛り上がるのかを知る為にもこの映画によって近現代史は目から鱗で把握できるのではなかろうか。


 日本人の当事者達がこうした事をよく知らないで、ゲームにばかり没頭したり、バラエティー番組ばかり観てバカ笑いをしていてはまずいのではないかと感ずる今日この頃である。