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火垂るの墓のdominoのネタバレレビュー・内容・結末

火垂るの墓(1988年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます


好き。
と言うのは、語弊を生むかもしれない。

現実にある、あった事実を使った作品は言葉選びに悩みます。


初めて観たのは幼稚園だったかな。
当時はただただ戦争に対する恐怖と興味で観ていた。

小学校にあがって図書室で初めて借りたのは「はだしのゲン」だったのを思い出した。

戦争作品で知ってる中で、この作品は大人になって見ると、戦争の無残さだけでないことに気づく。

簡単に言ってしまえば、この少年の大きなミスが毎度苛立たしい。


面倒をみてくれている叔母さんが、何故嫌がらせをするのか。そう聞こえるのか。見えたのか。

子供の頃は気づかなかった、一方的な見方になってしまう描き方が素晴らしい。


少年は一切、世話になっていることに感謝するシーンがない。ありがとうを言わない。
時間外に食べた茶碗も洗わない。
静かに片す叔母さんのシーンには、自分自身の行動をも見返してしまう。


軍総の子供を主人公にしているのがまた良い。
あの時代、少なくともあの2人は裕福な家庭で育っていると分かるシーンが多く、特に節子が腹を空かせて天ぷらやハンバーグ、スキヤキの味を知っているのには驚嘆。


節子のことを思うならば、あの少年は家を出るべきではなかった。
そして、食に困った時、すぐさま頭を下げてあの家に戻るべきだった。

小さなプライドと、考え方の狭さに
節子は死んだ。

芋を掘り返すこと。
幼い自分なら仕方がないじゃないと、
少しくらい分けてあげなよと言っていた。

同じ様に命を削って生きてる人に気づかない。だから2人は「子供」なのだ。


特にあの少年は自分にある選択肢に勝手にバツをつけて見ない様にする。

節子が死に際に、ずっとそばに居てと言う素直さが、あの少年にあれば。

虚ろな目で、兄ちゃんに泥だんご握りを作る節子の心の優しさに。

何かを守る時、自分の建前を崩すことも必要だと彼はどこかで気づけていただろうか。

母親の変わり果てた姿に戦争の残酷さを知り、あの兄妹に生き方を学ぶ。


勲さんの作品はいつも、大人になってから分かるシーンが多くて脱帽する。
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