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10話のakrutmのレビュー・感想・評価

10話(2002年製作の映画)
4.2
女性が運転する車に乗り込んでくる人々との会話を車内カメラで映し出すことで、イラン社会における女性の置かれた社会的環境などを描いた、アッバス・キアロスタミ監督のドラマ映画。10個のシーンから構成されていて、同乗者は女性の息子アミン(4回)、姉妹2人、モスクに行く他人(だと思う)2人(一人は2回登場する)、娼婦である。

本作を見てすぐに思ったのは、ジャファル・パナヒ監督の『人生タクシー』そのものやん、ということ。『人生タクシー』を見たときには、めっちゃ独創的な映画だと思ったのだが、実はこちらが元ネタだったとは。パナヒ監督はアッバス・キアロスタミ監督の助監督もしているので、当然、師匠へのオマージュという意味合いもあったのだろう。でも『人生タクシー』と異なるのは、同乗者が見知らぬ人ばかりではなく、家族との会話を通じて彼女の背景が浮かび上がるというストーリー性が存在する点である。運転手の女性にマニア・アクバリというアーティストを起用していて、同乗者として出てくる息子や姉妹も彼女の本当の息子や姉妹である。しかも、映画の中での会話も現実の内容だそう。家族以外の同乗者との会話もドキュメンタリーなのかはわからないが、おそらくそうであろう。男性ドライバーだと思って乗り込んできた娼婦は一切顔を映していないし。

息子(とここでは言っておく)以外はすべて女性なので、女性どうしの本音の会話を通じて、イランにおける女性の社会的環境や立場が明らかになるという技法は(『人生タクシー』をすでに見てしまっているので感動はないが)やっぱり素晴らしい。イランにも娼婦が普通にいるのかというのは驚き。「夫婦なんて、娼婦と客の関係と同じようにギブアンドテイクに過ぎないじゃん」という娼婦の言葉には、どこの世界でも変わらないなあと思うとともに、男性優位の社会であるからこその言葉だとも思った。でも一方で、都会テヘランの街中で見知らぬ人を車に乗せてあげるという親切には心温まる。

*** 以下は、作中の会話を通じて明らかになっていくあらすじ(というほどのものではないが)に触れるために、本作を見て知る喜びを楽しみたい人は注意。

運転手の女性とその息子の会話に最も時間が割かれていて、二人の置かれた状況が次第に明らかになっていく。微笑んでしまったのは、息子が一緒に暮らしている父親の再婚相手を母親(=運転手の女性)よりも好きな理由を聞かれて、毎日違う料理を食べさせてくれると息子が答える場面。思わず母親も苦笑して同意していた。一方で、息子が母親に対してとても攻撃的で、情緒がちょっと不安定に見えるのがとても気になった。子役を上手に使いこなすアッバス・キアロスタミ監督が撮っていることを考えても、演技にしてはうますぎるので、実際の息子との実際の会話だと思って見ていたので余計に気になる。イランでは特定の理由がない限り女性からは離婚できないので、夫が麻薬中毒者であるとでっち上げて離婚したようで、そのことに息子がかなり怒っているのは理解できるが、それにしてもである。さらに、母親と一時的に過ごすために車に乗ったときに、必ず祖母の家に行くことに固執して、女性が近道のために息子の知らない道に行くと、癇癪を起こすように嫌がるのも違和感を覚えた。

映画を見ているときにはイランの男性優位社会のひずみを表現しているのだろうとしか思っていなかったが、映画を見終わってからネットで調べていると、その本当の理由がわかって、気持ちが暗くなってしまった。息子役を演じたマニア・アクバリの実の息子アミン・マヘルは、現在、映画監督やアーティストとして活躍していて、2019年に『Letter to My Mother』という短編映画を撮っている。その中で、自分がトランスジェンダーであるとともに、ちょうど本映画を撮影(本人は自動車の中で会話が撮影されていることを知らなかったとのこと)していた時期に、母親の義理の兄弟、つまり母方のおじから性的虐待を受けていたことを告白したのである。そう考えると、本映画の中で見せた息子の反応も完全に腑に落ちるのである。

一方、運転手を演じた母親のマニア・アクバリも、その後2007年に乳がんを患い、乳房切除手術を受け、闘病生活を送ることになる。まさにそのときに、『10+4』という本映画の続編と呼べる映画を撮っていて、本作と同様に運転手と同乗者の会話として映像化しているが、運転するのが辛くて、車内外の場所で会話を撮影しているシーンも少なくないらしい。

以上のような後日譚を知って、昨日の夜に再度気持ちが滅入ってしまったのである。
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