Jeffrey

新宿マッドのJeffreyのレビュー・感想・評価

新宿マッド(1970年製作の映画)
3.0
「新宿マッド」

冒頭、新宿の街に転がる死体。モノクロとカラーフィルム。演劇中に息子が刺し殺される。田舎から上京した父親、死の真相を探る、警察、若者、淫らな行為、夜の街、寝床探し、フーテン、火炎瓶。今、裏切り者はあの世へ行く…本作は一九七〇年に若松孝二が監督したピンク映画で、上映時間は短く六十五分である。脚本は足立正生の"街を売った男"を脚本として執筆している。今回彼のDVDボックス十二枚組のセットを購入して再鑑賞したがどれもラディカリズムで破壊力満点の映像で好きだ。この作品が作られた時代背景を思い返してみると文化的には大阪万博が開催され、政治的には日米安保条約が自動延長を迎えた年と言う事は誰もが知っているだろう。そういった政治的な課題の中でこの作品は作られた。常に思想をぶつけてきた(作品に)若松孝二の言いたい事は果たして何なのだろうか、大阪万博が七〇年安保と言う政治的課題を隠蔽した物と言いたいが如く、機動隊の導入や西口フォークゲリラへの弾圧から国際反戦デイにおける商店街を中心とした自警団の徹底化などを当時のドキュメンタリーを見ると凄まじいものがある。

この時代の作品、若松映画だけではなくヒッピームーブメントやドラックにセックスにとこういったアングラカルチャーの運動が多くあった。歴史的転換を迎える七〇年代を徹底して描ききっている。一種のキャンペン映画のようだ。そもそも新宿を舞台にしている作品は本作の前年度六十九年にATGから大島渚が「新宿泥棒日記」(この作品の脚本は本作の脚本を担当した足立である)を発表しているし、松本俊夫も新宿を舞台にしたゲイ映画「薔薇の葬列」を同じくギルドから出しているし、藤田敏八は「新宿アウトローぶっとばせ」や城之内元晴監督の「新宿ステーション」や岡部道男の「クレイジーラブ」や宮井陸郎の「時代精神の現像学」なども新宿映画である。そういった中、本作は新宿の様々なロケ場所が登場する。今も存在するゴールデン街を始めとし、歌舞伎町、地下通路、東口広場と西口広場、花園神社などが使われている。これらは当時の新宿の生々しい現場雰囲気を味わえる貴重な映像体験と言えるだろう。当時の警察や自警団による様々なスローガンも新鮮である。

さて、この作品の凄いところは、冒頭の新宿の地下鉄の出口付近で、もしくはゴミ捨て場や公園や路上、路地裏、劇場の前などでフーテンの男女の血だらけの死体が転がっている描写から始まる所だ。そこからまもなくアパートのー室で舞台衣装をまとった主人公の男とグレコと言う女が新劇調のセリフ回しをしながら熱く抱擁している場面に遭遇する。そんで突然男たちが乱入し男の胸にナイフを突き刺し女を丸裸にして輪姦していく…こんな出だしは若松孝二ならではのインパクトさだ。それに公園にたどり着いた父親が少年少女を見て自分の息子の事について尋ねる時に、新宿を売ったから殺されたと告げられて、その理由に納得がいかず父親が少年につかみかかってその気迫に押されすぐにゲロってしまう場面は笑える。てか九州の田舎から一人でやってきた郵便局勤めの父親が地図を片手に入り組んだ新宿のどこかにある息子の部屋へたどり着くのは普通に大変だと思う。映画的に作っているから到着するが、現実なかなか大変だと感じる。

グレコに息子が殺された恨みつらみを吐くが泣きながらその日の出来事を話し始めて淫部から血を流す彼女を見て被害者だと改めて知り慰める場面は何とも言い難い気持ちになる。その流れでフーテンのたまり場で、男女が乱交パーティーしているのに遭遇し、そこで馬鹿な女がマッドについて口を滑らして父親がその連中に問い詰めるが、そいつらが逃げてしまい路地裏で何者かにリンチされてしまうと言う結果になるのだが、その時に父親を蹴り飛ばした人は誰なのかと言う謎が残る。そしてここからこの映画のバカバカしさと皮肉さと面白さが炸裂する。いよいよ父親が新宿マッドとの対決を迎えるのだが、彼らの馬鹿げた主張に対して二十五年間休みもなく働いてきた父親側からの激しい反論に同士を殺す以外に何もしていないじゃないかと罵倒され、いわゆる今で言うロンパだよ、論破されその言葉に怒りを覚え殴る蹴るを繰り返すそのリーダー格の哀れな姿は滑稽すぎる。

そんで父親は負けじと応酬するのだが、逆にナイフを奪ってそのリーダーに反撃し、他の仲間は皆その場合から逃げてしまう始末で、そのリーダーが惨めたらしく命乞いし始める。そんで普通そこで父親はすかっとすると思いきや、その姿に失望してマッドを殺しても息子は生きかえらないし、息子も同じようなものだったのだと悟り、その場を立ち去っていく姿はこの映画のー番の虚構な場面でもどかしい…そんでその後狂ったそのマッドが火炎瓶で部屋を焼き尽くす場面も滑稽である。この時点で物語はあと数分で終わるところまで来るのに、その数分がまた圧倒的である。アパートに戻る父親がそこでグレコたちが乱交パーティーしているのに、さらに絶望してアパートを後にする。そんでマッドと戦った傷だらけの姿を刑事に見つかり、そいつと喧嘩したことを話すが、彼は既にー年前に殺されていると知らされる。そういった中バイクに乗ったその連中たちが通り過ぎていくシーンが挟まれる。しかもその刑事との会話により息子が本当に警察に〇〇を〇〇していたことを知る羽目となる。そんで父親が新宿の街を眺めながら〇〇と口走るシーンは何とも言えない。



さて、物語はアンダーグラウンド演劇をしていた息子を内ゲバで殺された郵便局員の父親が、真実を知るために、九州の田舎から単身上京する…と簡単に説明するとこんな感じで、本作は冒頭に、モノクロームの映像で地面に横たわる数人の男女のショットが写し出される。んで、肩はんだしの衣装を身にまとい演劇をしている男女の姿が映し出され、そこにやってきた連中にナイフで刺刺され殺される。この場面はカラーフィルムを使っている。そして父親が息子の死の真相を探るべく上京してからまたモノクロに変わる。刑事は全く父親の思いを汲み取らず、邪険扱いする。なので父親は自分なりに捜査をし始めていく。カメラは新宿のアンダーグラウンドな箇所を色々と撮影していく。そこにはシンナーを吸っている若者などに自分の息子のことを聞き始める。

そんで公園のオブジェのトンネルのようなところで数人の男女が淫らな行為をしているのを目撃して、注意するがあしらわれる。その公園にいるヒッピーらしい男女がギターを弾きながら歌を歌っている彼らに自分の息子のことを色々と聞く。少しばかり知っている事情を伝えるが、大事な情報は教えてくれないでもどかしい思いをする。だが堪忍袋のおが切れてその少年の胸ぐらを掴んで犯人の名前や居所をやっとの思いでつかみ、一人夜の新宿街を彷徨始める父親が映される。んで、新宿にいる様々な人々を捉えるカメラ。こうして自らの足で徘徊することで、新宿と言う街の狂気と出会い、徐々にそれを帯びていく様を撮り、年齢や世代を超えた急進主義の根源的な可能性のあり方を提示したいくんだが、それが圧倒的に凄い。

んで、息子と一緒にいた女は朝まで犯されて何とか一命を取り止めて、彼女のいる家に行って息子のことを色々と聞いて、この場所に居させてくれと言い、彼女の許可を得て彼女から情報をもらい街のフーテンのダークフォースと言う店に父親は出向く。そんでそこにいた数人の若者のグループに暴力を振られる。どうやら新宿マットだと思い込み、色々と聞いたが何一つ情報得られない。そんで翌日、犯された女の家で朝食をとる父親、女は警察に相談しないのと言うが、自分の力で解決すると断る。こうして、日本の資本主義的成熟と言う時代の変化に伴って、アングラカルチャーが浮上し、運動も衰退していく中で、政治から芸術から風俗まで、ヒッピー、カミナリ族、活動家、労働者、学生、家出少年、それら全てを混在させていく…。

にしても、郵便局のおっさん(父親)粘る粘る、しつこいしつこいし、とにかく一匹狼で執念のようなものを感じ取れる。1人で新宿マッドを知りませんかと回る日常、それをジャズの音楽や新宿のあらゆる風景のカット割りの積み重ねで我々に見せてくれる。ー人称で語られる分面白みもあるし、推理的な映画としても見れる。そんでいよいよ公衆電話に殺されたくなければ嗅ぎ回るなと脅迫電話がかけられる始末。そ!らを新宿と言う類い稀なる街の現在を、ありのままの姿で見事フィルムに定着させてる点は画期的である。そんで電話で誘導されて、父親があちこち振り回されるのも面白い。アジトに連れてこられる父親(目隠しされた状態で)、そこではヘルメットや武器を持っている活動家的な若者たちが大勢いる。そしてそこで対立をし始める。

そのシーンでは、固定ショットで長回しで革命論を互いにぶつけ合う滑稽な場面である。この活動家に対しての革命を世論で論破する父親はリンチにあう。んで父親はボコボコにされていく。そっからネタバレになるため言えないが、やはり若松孝二の原点で新宿だから非常に丹念に描かれているなと感じた。今回のDVDの特典映像に若松浩二の当時を振り返ったインタビュー映像を見たが立派なことを話していた。当時の新宿はアングラやサイケがブームになり、若い世代はその流行風土の中でやりたい放題していたことがこの映画からも伝わってくる。ドラックやアナーキズムの場面もあったし、そういった新宿と言う街の文化に全共闘運動や安保闘争とかが入り込み、いろいろな運動的な都市文化へと変貌していくんだなと感じた。今の新宿とは天と地の差である。こーゆー人生にドロップアウトした人の成れの果て的な…何かを感じる。

そもそもこの映画は当初ピンク映画として大々的に広まったのだが、主人公が老人でしかも郵便局勤めと言うピンク映画なんて普通ないだろう、これは結果的に全国津々浦々あるピンク劇場でヒットしたのだろうか?しかもラディカリズムとアナーキズムが全面的に押し出されていて、ピンク系が好きな人が見るとどういった感覚だったのだろうか。田舎と都市の対立や世代間の対立と言う演出は評論家的には批判しやすいイメージだったような気もするのだが…。確か本作はタイトルがもう少し長くてピンク映画らしいタイトルだったと記憶している。長々とレビューをしたが、今は懐かしい一九七一年のカンヌ国際映画祭監督週間に大島渚とともに招待され、その帰り際に本作の脚本の足立とパレスチナに向かい、アラブゲリラの日常を映したニュースフィルム「赤軍世界戦争宣言」を撮り、赤バス上映会を結成し新宿を皮切りに全国上映運動を展開していたことが懐かしく思う。彼の作品は色々と物議をかもし上映反対キャンペーンなども展開されていたはず。確かギルド作品初となる「天使の恍惚」はその一作だったじゃないだろうか。記憶は曖昧だが、当時の相次ぐ爆弾闘争や連合赤軍によるあさま山荘事件が起きて時代状況の中で判断されたと思う。

それにしても若松孝二はかなり映画を撮っている作家だなと感じた。しかも一つ一つがしっかりとした題材を軸にしているのですごい。特に内田裕也を起用した後半の作品は一般商業映画に活躍の場を映しているし、全共闘時代の総括まで二〇〇〇年代に入ってからは撮影している。基本的にはパワフルでスキャンダラスな映画ばかりをとっていて問題作が多いが、彼の作品は間違いなく今後再評価されていくに違いない。ともあれ好き嫌いが真っ二つに分かれるが、凄い映画ばかりである。そういえば脚本家の足立正生は先程言ったパレスチナ革命に身を投じて、九十七年にレバノンで拘束され二〇〇〇年に日本へ強制送還されたニュースがあったな。大島渚の問題作「愛のコリーダ」でも彼は参加していたし、本作の撮影を担当した伊藤英男も「愛のコリーダ」を撮影していた。
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