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鉄男 II BODY HAMMERの教授のレビュー・感想・評価

鉄男 II BODY HAMMER(1992年製作の映画)
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前作同様、何度も観ている作品ではあるが、実は本シリーズはこの「2」の方が好きだったりする。

基本的には前作とは設定が多少異なるが、ほぼ同じストーリーラインなのだが、同じ内容でテーマだったり描いているものが様々なバランスで変化している。

前作と同じなのは「都市の中の悪夢的空間」と個人の奥底にある肉体の不能性、不完全さが金属と融合することで全能感を持ち、世界そのものを破壊するというところ。
本作はその「都市」の空虚さ、疎外感、整理され過ぎた文明の冷淡さを強調した「都会的」でスタイリッシュな映像がより洗練されている。
加えてその、片隅にある「アングラ」な薄ら暗い情動を抱えた「男たち」が蠢いている。その洗練と野暮ったさのコントラストが素晴らしい。

一方で田口トモロヲが演じる主人公も、前作では「破壊衝動」を目覚めさせていくキャラクターで、大筋は同じなのだが、今作ではその情動を「抑え込む」という今でいう「アンガーマネジメント」的な要素も幾分入っている。
怒りや殺意によって全身を兵器化する能力を持っているが、それによって愛する人もろとも破壊してしまう為、その情動を抑えつけ、あるいはコントロールしようとする。

連れ去られた妻(叶岡伸)の救出の為に怒りに駆られ銃弾を放つシーンでも身体の向きを変え命中を防ごうとしたり、やつ(塚本晋也)との最終決戦後も妻に自分を殺すように懇願したり、など「怒りの暴走」に対して理性で抑止しようとする様が多い。

「破壊を美しく感じる忌まわしさ」からの解放というある意味では暴力の肯定を大筋では描きつつ、微細なところではその感情に対する葛藤や、家族への愛情を偲ばせる脚本の生々しさは中々観応えがある。

特に、歪な決着であったとしても、暴力的な家庭で育った主人公が、破壊に回帰して自らを取り戻し、結果的には世界を破壊してしまうのだが、それに付き添い、承認してくれる妻の存在というものが、前作では「ミソジニー」の対象であった女性性に対しても明らかな変化があって興味深かった。
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