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FAKEのymdのレビュー・感想・評価

FAKE(2016年製作の映画)
3.5
森達也監督は通っていた大学の特任教授だったので2年間講義を受けていたという個人的な思い出がある。

「ドキュメンタリーはジャーナリズムではない」
「ドキュメンタリーは嘘をつく」

ということを、彼は講義でも著書でも繰り返し繰り返し唱え続けていて、今作でもそんな森達也の目線は一貫している。

なので今作を「ゴーストライター騒動の真実」を暴く映画であるという風に思っている人がいるとすればそれは大きな間違いだし、今作はあくまで”森達也が見せたい佐村河内守”を映した作品であるという視点をまずは我々もしっかりと認識しておく必要がある。

今作では神山典士氏や新垣隆氏らがまるでヒールのように映されているけれど、それはあくまでも森達也のレンズが向いている方向がそうなっているから、に過ぎない。

森達也がプロレスのマナーに通じていることを知っていればすんなり受け入れられるかもしれないけど、純粋な気持ちで善悪二元論に落とし込むことは極めて危険である。

まあ神山氏とのイザコザについては二人がFB上で口論している様子も見れるので、それもセットで考えてみると感慨深い。そもそもの「ドキュメンタリー」に対するスタンスが全然違うから仕方ないとは思うけど。

もはや佐村河内騒動なんてものはすっかり風化しているので今更観るのもどうなんだと思う人も多いかもしれないけど、今作はタイトル通り一貫して「ウソ」について執拗に問いかけ続けているスタンスであり、それ自体はこの問題を超えた普遍的なテーマである。

だからこの映画の映像は今でも全然観れるし、こういう人っているよねくらいの視点までプルダウンして楽しむこともできるのである。ドキュメンタリーの面白さはこういうところにある。と個人的に思う。一種のメタ的な構造というか。

佐村河内を良い人に仕立て上げている、という認識で本作について怒っている人についてはさておき、被爆者や障碍者利用という論点に立って本作を非難している人の意見は尤もだ。

森達也は”あえて”その問題について深く掘り下げることはせずに、「ゴーストライター問題≒彼自身が作曲ができるかどうか」というひとつの視点を発展させてフィルムを回している。

さらに巧妙(狡猾?)なのは、障碍者や被爆者といった問題に際しては、「彼はいい人である」という一人の視覚障害を持つ少女を登場させたり、被爆者二世であることについて父親が切々と語るシーンを挿入していることで、一応そういった切り口にも触れているように見せかける。それ自体は間違いではないかもしれないけど、糾弾されていることの論旨はそこじゃないだろ、とツッコミを入れたくもなる。

その意図的な視点の取捨選択を面白いものとして見れるかどうかで本作(ひいては森達也)の評価は激しく二極化するんじゃないかな。

個人的には彼の考え方やメディアへの向き合い方に影響されている身なのでスンナリ入ってくるけど、売り文句が好きじゃない。
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