Fitzcarraldo

テルマ&ルイーズのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

テルマ&ルイーズ(1991年製作の映画)
3.3
第64回アカデミー賞(1992)脚本賞を受賞したSir Ridley Scott監督作。

脚本はCallie Khouri。
彼女の脚本を惚れ込んだリドリー・スコットが映画化を熱望し、企画が動いたようなのだが、当初は自分で監督する気はなかったらしい。

リドリー・スコット
「多くの監督たちと話をしたら、シナリオを変更したいと考えていた。しかし、私はシナリオのままで映画化したいと思っていた。監督たちは私が自分で映画化しないことを不思議がっていた。そこで自分で撮ることにした」

と、語っている。

多くの監督たちは、シナリオのどこを変えようとしていたのか?

女性が自由を求めて羽ばたくというのが、まだこの時代には早すぎたのか?いまの時代からすると何も違和感ないのだが、当時はまだまだ前時代的な価値観が横行していたのか?

そもそも、【女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約】(略称は女子差別撤廃条約またはCEDAW[セダウ])が国連で採択されたのが1979年12月18日。発効されたのが1981年9月3日。

議題に挙げられて世界中に浸透していったのが、人類の歴史を考えると、つい最近の出来事であるということ。

そこから10年余りでは、まだまだ多くの映画監督の中でも、意識改革が進んでいなかったということであろう…女性の気持ちを慮る紳士的な振る舞いはナイトの称号を持つリドリー・スコットならではといったところか…

リドリー・スコット
「私の映画には強い女性が登場するが、それは私が強い女性に惹かれるせいだ。個人的な趣味からきている」

いい趣味してるぜ!
常に愚痴っぽくて”でも”を連発するような女性より、快活で強い女性の方がいい。


CEDAWで驚かされたのがアメリカである。
アメリカ合衆国政府は1980年7月に女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制約されることを拒否して未批准なのである。

ひじゅん【批准 ratification】
署名した条約に対し,国家として拘束されることの最終的な確認行為をいう。憲法上条約締結権を与えられたものが,批准権を有する。批准制度が存在する理由は,第1に通常,条約締結権者たる国家元首がみずから交渉にあたるわけでなく,したがって全権委員が締結権者の意思を体して合意したものであるかどうか確認する機会を持つ必要があること,第2に民主主義国家においては,国民を代表する議会が条約の内容を審査することにより,締結権者の恣意的な行為をコントロールする必要が生じたことである。


つまりアメリカは署名したけど、同意していないのである。なのでCEDAWの効力は何も働かないということである。

なんたること…

どの国内法が制約を受けるのか?
いまや世界中の国々で批准されているのに、超大国アメリカが足止めしてるとは…思いもしなかった。

Black Lives Matter運動も大切だけどCEDAWを批准するのが先だろ…

何やらアメリカの深い闇を感じてしまう。


物語の話を…

アカデミー賞主演女優賞にダブルノミネートされたGeena Davis演じる専業主婦のテルマと、付き合ってる恋人はいるが結婚に踏み込めないSusan Sarandon演じるウエイトレスのルイーズ。

筋肉バカで、チカラで女性を抑えつけようとするマッチョ体質の男Christopher McDonald演じるテルマの旦那ダリル。

これまで夫の言いなりで従順な妻として生きてきたのでルイーズとの旅行の話を、筋肉バカで口うるさい夫に遠慮して言えないテルマ。

上から抑えつけられるような物言いに従うテルマを見てると…女性は、ものすごい時代を生きてきたのだなと改めて考えさせられる。

家族、主婦という檻の中で抑圧的な生活を続けて生きていかなくてはならない心労は計り知れない。多くの苦渋を舐めさせられ我慢強く使役を続けていたのだろう…

女性は強いなぁ…頭が下がります。

しかし、こんな世が当たり前にまかり通ってたと考えると…嫌んなっちゃうね。どこで精神を保ってたのか…

こんな状況だからこそ、彼女たちが解放され自由に羽ばたいていく姿は爽快であり、新しい時代の夜明けにも見える。

公開から30年を経て…。
変わった部分もあるだろうが、まだまだ前時代的な側面は多く残されているように思う。特に家庭面では、家族単位の内情は表からは見えにくい部分なので、解決するには個人個人の意識改革をするしかないのかなと思う。


○銀の弾丸(踊るフロアもある飲み屋)
テキーラのショットとマルガリータを飲み、テンションアゲアゲのテルマとルイーズ。

ナンパされた男と踊り狂うテルマ。
クルクル回されて酔いが回る…

外の空気を吸いに男と一緒に出ると、そこでレイプされそうになる。

映画であろうが、レイプシーンは見てるのが嫌になる…イライラが止まらない。


○銀の弾丸の外
Harvey Keitel演じる刑事のハル。
なぜか知らないがハルは、テルマとルイーズの二人の仕業と決めつけたような物腰で店員さんに質問攻め。

そりゃ見てる客はね、もちろん知ってますよ。撃ったのはルイーズで…
でもハルには分かるわけない!

テルマもルイーズも誰にも見られてないって言ってたのに…

目撃者いないよね?なぜ2人のことが分かるの?
これは理屈が通らない。

誰かが見ていたショットを入れるとか、防犯カメラのショット入れるとか…何か必要だろう。
でないと、刑事ハルは最初から犯人を把握しすぎている。まるで予告殺人でもしたかのようだよ。


ハルはルイーズのクルマも特定。どうやって車の型も年式もわかったの?どこから導いたんですか?それはズルくないか?

別に主題は、そんなところじゃないし、どうでもいいと云えばどうでもいい細かい部分なんだけど…人間の物語を映画という虚構の世界で描くには、こういうディテールが大切なのだ。

ひとつやふたつ工夫すれば済むと思うんだけど…


○テルマの家
筋肉バカ亭主ダリルとハル。

ハル
「銀の弾丸(店名)で男が、一人殺された。撃たれてね。66年型サンダーバードが現場を離れるのを見た目撃者がいる」

「離れるのを見た目撃者」
え?日本語おかしくないか?
目撃者の中に見るって入ってるんじゃない?

【目撃者】
〘名〙 ある事柄が起こるのを、実際にその場にいて見た人。

これを踏まえると…
「離れるのを見た見た人がいる」

ってなるよね!?おかしいよね?
オレがおかしいのかな?おかしいと思うんだけど…日本語として。

字幕:戸田奈津子

やっぱり!納得…。

シンプルに「離れるのを見た人がいる」で良かったんじゃない?

殺害シーンの時は、引き画がないから、実際にその場に人がいたのかどうかは観客からしたら判断はできないけど、登場人物であるテルマとルイーズからは、誰にも見られてないという感覚があるわけだから…車が離れるのを見ただけでは目撃者には該当しないよね?それって、ただサンダーバードを見ただけでしょ?

あそこの駐車スペースは大きくて、車も何台も停まってたし…お店の中の人の数を考えれば、車の台数も相当なわけで…監視カメラがあれば話は簡単だけど。

監視カメラがないのなら、死体発見時間が何時なのか?死後どれくらいで発見されたのか?
死亡推定時刻は何時何分まで正確には分からないのだから、何時〜何時の間ってなるでしょ?

そしたら、その時間内にあの店を離れた全ての車が捜査対象なんじゃねぇの?
その車がサンダーバード1台だけだったの?そんな説明してないよね?全てを説明する必要はないけど、ここは省略したらいけないよね?

というか絶対に考えてないよね?
分かっててやってるとは思えない。
分かってるなら、こんな選択肢ないもん。


ハルは、せめて候補の中の一つという感じで捜査しないと…初めからテルマとルイーズに決め打ちしてるもん。違和感あるよ。

テルマ&ルイーズだからね…まぁそうなるんだろうけど…そこはもう少し細かく描いてよ!

お店の従業員に質問してるときから、もうすでにテルマ&ルイーズのことばかりで…違うだろ?!


ハル
「その車の同乗者は、あんたの奥さんだった」

だから、なんで、同乗者の名前まで既に把握してるのよ?どこで仕入れたの?ルイーズが働くお店かな?…でもお店がそう言ったからって実際そうとは限らないでしょ?

「あんたの奥さんだった」と言い切るのではなくて、奥さんはいまどちらに?知ってますか?奥さんから連絡ありましたか?とかそういうことを先ず旦那に聞くんじゃないの?決め打ちしてるのが、気持ち悪いよ…


ルイーズと山へ行くと電話あったとかダリルが答て初めて、やはり同乗者はテルマに違いない…と、そうやって裏を取っていくんじゃないの?

撃たれました。
車の目撃情報があります。
その車はルイーズが所有者です。
同乗者はアナタの奥さんです。
う〜ん…


○車内
ずっと全盛期の男Brad Pitt登場!
本作の出演を期に出世していったのも頷ける圧倒的なフェロモン。こりゃセックスシンボルになるわな。今と比べると、まだまだ線は細めだが、すげぇ身体してる。

テルマが何度もルイーズに乗せてあげてと懇願するのも納得の説得力。

J.D.(ブラピ)
「子供はいない?女として生まれたのに神様に申し訳ないよ」

差別発言やで…ソレ!

宗教的理由もあるのか…結局アメリカは、まだまだ女は子供産んで家のことをやればいいという前時代的な考えが蔓延してる。いや、これはアメリカに限ったことではない。

日本でも平気で言われていることだ。

なんやそれ…おめえは何から目線でソレを語ってんだ?という輩が後を立たない。

さらに男に限らず、既に出産を経験した女性までもが人は平気で言ったりする。

親もね…

「早く結婚しろ」だの、「早く孫の顔が見たい」だの…当たり前だと思うなよ!

子供を何だと思ってるのだろう…
生命を何だと思ってるのだろう…

すごい軽く考えられてるような気がしてならない。


○モーテル
なけなしのルイーズの貯金をJ.D.に盗まれる。
テルマは何の学習能力もないのね…あなたの羽目を外したいという欲求が招いてレイプされそうになったんじゃないの?それを助けた際に、つい口車に乗ってルイーズが撃ち殺してしまったんでしょ?なんでまた、男で…

ルイーズもルイーズで、おっちょこちょいなテルマの性格はわかりきってたはずだし、大事な金は自分で管理するべきだろう…そしたら、物語は動かないんだけど…

まぁブラピの魅力なら、説得力ありすぎるし…そりゃずぶ濡れのブラピがドアの向こうでクンクン泣いていたら、部屋に入れない女性は世の中にいないだろう。

イーライ・ロス監督の”Knock Knock“(2015)で、びしょ濡れのAna de Armasと、Lorenza Izzoの二人がKeanu Reevesの家を訪ねてきて…そりゃ入れるわな!ずぶ濡れのブラピと勝負できるのは、この2人だろ?


金がなくなり、腰砕けになり、泣くしかないルイーズ。すると…強気で励ますテルマ!あれ?急にキャラ変?初めてセックスの良さを経験したから?一皮むけたの?いきなり強気でルイーズに指示出すとか…そんなキャラじゃなかったやん。

立場が逆になるってというのは、まぁよくある展開ではあるけど…少々強引な印象を受ける。
あからさまにギヤを3つくらい飛ばしたような感覚。それ繋がる?クラッチ傷めるよ!

テルマ
「ルイーズ!聞いて!いいから何も心配しないで!いいわね?立って!ルイーズーあんたは心配しないで!荷物をまとめてここを出るのよ!」

レイプ犯を撃ったのはルイーズだし…あたし被害者だし…みたいな顔してたのに…

私は警察に行った方がいい!と提案してた人が、急に積極的に逃げる方に振り切ってきたな…

警察に行けば、あたしは悪くないから、罪には問われない!みたいな顔してたよ!
それがどうした?いきなり…片鱗が見え隠れしていて、ここで覚醒したのなら分かるのだが…

どうしてもいきなり覚醒したから、違和感ある。


○テルマの家
ハル達ら刑事が車4台で横付けするのだが…

ロケ当日は晴れていたけど、脚本で雨となっているから、わざわざ雨を降らせたと思われるのだが…

画面の中の雨量に統一感がない。
雨足が弱いところや、強いところがバラバラ。
あまりにも降らせてます感が出てしまっている。雨という自然現象を不自然な現象に変えてしまった…

これなら現場で脚本を変えてほしかった。
別に雨である必要が微塵もないわけだし。これをバカ正直に雨を降らせることに、あぁアホやなぁ…と呆れてしまう。綺麗に降らせられるのなら、問題ないんだけど。レンズ覗いて不自然なら雨やめればいい。

ハル
「雨は苦手かね?」

この台詞だけやろ?こんなの削除して晴れでロケすりゃええやん。


○テルマの家の軒先
偽の雨が降ってるところに、わざわざ軒下で話すハルとダリル。

え?普通に考えて雨降ってれば、家の中で話すよね?なんで外で話してんの?

しかも…その背景の雨が、ちょろちょろなんだよ…筋肉バカのワンショットの時が、一番気持ち悪い!コントみたい。


○車内
テルマが空になった酒のミニボトルを車から投げ捨てようとすると、道路を汚さないで!と注意するテルマ。

その前のシーンで、あなた…タバコのポイ捨てするわ、口紅も捨てるわ…してたけど、どういうことよ?人物のキャラ設定は守らないと!

シーンによって真逆のことしちゃダメだろ!
これ基本的なことだと思うけど…


○荒野のお店
警察がいるのを分かってて何度も電話をかけるルイーズ。なぜ、休憩の度にハルと話すの?

なにがしたいの?

捜査の進展状況を探るためとかなら、まだわからなくもないが…ドラマを起こさせるためだけに、敢えてハルと交流させてるようにしか見えない。そこに必然性が見い出せない!

そこに示し合わせたように、テキサスで過去にレイプされたという話を持ち出してきて、そのことをハルは知ってると!助けたいんだと…

はぁ?

じゃ問題起こす前から心のケアとか様子見に来てたりしてたんですか?ハルが、なんで助けたいという感情になっているのかサッパリ解らない。ここは全く描いてない!とにかく俺は助けたいんだ!の一点張りじゃ…それはどうかな?

物語を動かすために、ただ取ってつけたような感じがするけど…これをドラマとは言わないんじゃない?

そんなのない方がシンプルで良かったと思うよ。良かれと思って警察サイドにも女性の理解者を置いたのだろうけど…それは余計なお世話だった。


○脇道
何度も何度も追い越しては、前に現れる謎の変態が運転するトラック。追い越す度に舌をベロベロさせたり、股間を上下にシコったりと下品極まりない!

いい加減に我慢の限界のようで、色仕掛けで脇道に誘導して、停車するサンダーバードとトラック。

勘違い野郎の変態キモおやじは、ちゃっかりコンドームまで準備して彼女たちのもとへ勇んで駆け寄る。

そこで銃で謝れと脅すのだが…

え?謝れ?
謝れなの!?
違うだろ?

さすがにブルーのサンダーバードは目立つから、ここらでこの巨大なトラックに乗り換えるものだと思っていたら…ただ、謝れの一点張り!

変態ジジイは、なんのことだ?と勘どころ悪い返し!そこで、トラックを撃って爆破させる…

いや…もったいない。
サンダーバードのトランクに変態キモおやじを押し込んで、鍵をして…

これパトカーに停められた時に警官をトランクに入れたやん。あれと同じことをすればいいのに…そのトラックに乗り換えれば、まだまだ逃げれたやろ?

テルマの家に刑事がいることに察しがよかったり機転のきくルイーズなのに、車を乗り換えることをしないのも不思議すぎる。

さすがにオープンカーのサンダーバードは目立ちすぎるよ。だってカッコイイもん。一度は乗ってみたいけど…


そのままジジイを置いて逃げるのだが…その変態が被ってたキャップをテルマは拾って、その後ずっと被ってるんだけど…

単純に嫌だろ!?あんな気持ち悪いジジイの被ってたキャップなんて…絶対に臭いよ!考えられない。

追いつめられたサンダーバード。

軽くキスをするテルマとルイーズ。

最後はグランドキャニオン的な壮大な景色へサンダーバードごと飛び込みエンド!

サンダーバードが自由を求めて羽ばたく鳥のよりに見える。余韻も含めて素晴らしいエンディング。

だが全編にわたり使用された曲がいまいち。
曲のセンスが良ければまた違った印象になるのだが…


リドリー・スコット
「(『イージー・ライダー』のような)旅の映画が作られたのは、もう30年も前で、その時はヒッピーたちが自由を求めて旅立った。しかし、時代は変わり、今は幸運なことに別のタイプの映画も作れる。ふたりの女たちが自由を求めて旅に出ることもできる」

さらに、ここから30年経った現在…

世界はどう変わっただろうか…
女性はさらに自由になれただろうか?
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