horahuki

トイレの花子さんのhorahukiのレビュー・感想・評価

トイレの花子さん(1995年製作の映画)
3.7
無垢ゆえの悪意

転校生が美人で大人びててモテモテなんで、クラスの女子たちに「トイレの花子さん」に仕立て上げられて虐められちゃう話。小中学生くらいの年齢の子たちがほとんどを占める中、血まみれの廊下だったり、ヤギの生首だったり、放課後に鎌をもって校内をうろつく女子中学生だったりと中々描写が過激で驚き。

良くあるゆるゆるでおバカな心霊ジュブナイルかと思ってたら、現実的恐怖が虚構を作り出し、それを利己的に利用する子どもたちを描いたしっかりとしたホラーだった。しかもそれが幼さゆえの空想と現実のはざまを行き来し、利用しようとする本人たちすら判然としないまま「恐怖」を無自覚に生み出し肥大化させ伝搬させてしまう。無垢ゆえに純度の高い悪意が、固定化した共同体の中に異物が侵入した際の恐れに近い拒否反応と結びつき、排除しようとする。

恐れと悪意が伝搬することで怪物となり、その怪物を自身に上書きされた転校生は人権を奪われ、彼女を排除する行為が正義の行いとなる。うん。確かにコレは魔女狩り。

ファーストシークエンスから既に秀逸で、工業地帯からカメラを下げると遊ぶ子どもたち→更に下げるとおそらく工業用水が流れているのであろう用水路へとカメラが近づき、子供の遊び声から流れる水音へと主導権が交代する。そして流れていくのは恐らく子どもの帽子。本作は子供同士の共同体内で育まれる悪意と恐怖を描いてはいるけれど、被害者としての子供、そして子どもの閉塞感を物語の中心に置いていることを印象付ける。

花子さん騒動の発端となったのも近所で頻発する児童誘拐。もう近くの小学校にも被害が出ている。次こそは自分たちの学校が標的となるのではないか。でも子どもたちには怯える以外にどうすることもできない。彼女たちが花子さんを生み出すという行為そのものが、抗えない現実に対するイマジネーションによる抵抗であり、心的平静を保つための心の吐け口でもある。敵を作り上げることで、絶対的な「恐怖」が自分たちにも対処できる土俵へと降りてくる。だから彼女たちは転校生を花子さん(=誘拐犯)に仕立て上げる。怖いんだけど、辛い…😭

その恐怖に震える子どもたちの総意がイマジネーションとして現実化するクライマックスがめちゃくちゃ良かった。これは良い花子さん映画。同じく前田愛が出演してる『新生トイレの花子さん』も大好きなんだけど、こっちも好き!

中学生同士のキスシーンとか映画とかだと時々見かけるけど、当事者同士のその後に結構影響与えそうな気がするよね。絶対意識しちゃうだろうし、マジで好きになっちゃうんじゃない?そんなことないのかな。というかこのVHSの予告編でミナミの帝王のゲームのCMが流れたんだけど、本編と対象年齢層あってんのかな😂
horahuki

horahuki