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フィツカラルドのsleepyのレビュー・感想・評価

フィツカラルド(1982年製作の映画)
4.5
寓話と神話が出会うとき ****





Fitzcarraldo, 1982年、西ドイツ、カラー、158分
アマゾンの僻地にオペラハウスを建て、カルーソを歌わせる。そのためには莫大な資金が必要だ。西洋人未踏のジャングル奥地にゴム園を作り、その利益でオペラハウスを建てよう・・。

本作は観る者を文化果つるところへ誘う。「神がいまだ創造を終えていない土地。人類が居なくなった後、神はその創造を終える」という伝承がある土地。何が起こってもおかしくなく、どんな人物も拒絶するような。ラスト以外は汗、霧、泥、湿気でびちゃびちゃだ。嘘と悪魔と幻想に満ちたジャングル。フリードキン版「恐怖の報酬」77年も頭をよぎる。

絵面は「地獄の黙示録」に似ている。しかし描かんとするところは異なる(カーツともウィラードとも重ならないと思う)。彼の行動は狂気というよりも(もちろん常軌を逸しているのだが)万年青年の燃えるようなミッションの遂行なのではないかと感じた。むしろドン・キホーテに近い。彼を突き動かす信念は文明伝播へのいささかずれた使命感であるとも言えるのだが。しかしそれが時に滑稽に、時にすがすがしく感じられる。突拍子もないが病んではいない(と思う)。

前半に「この町がオペラを知らない限り、オペラハウスが無い限り、教会の扉は閉ざされたままだ」というセリフがある。言葉通りには受け取れないが、オペラハウス建設は僻地の伝道師と重なる無邪気な布教・宣教とも言えないこともない。

彼がジャングルに向けてカルーソを蓄音機で高らかに鳴り響かせるシーンは印象的だ(ここはやはり「ワルキューレ」を流した「地獄の黙示録」のキルゴアを想起させる)。White God, 白い神の抵抗。しかしそんな人間を嗤う何か巨大な存在が画面から感じられる。ジャングルの場面では神秘性が漂い、町の場面では寓話的な空気が漂う。

野心的な映画作りは船を山に登らせるようなもの。本作は映画作りの映画とも言える。ヘルツォークはフィッツカラルドと重なり、監督はどこかこの男にシンパシーを感じてエールを送っているようにも見える。幸いにも映画は完成し、汽船の山越えシーンは映画史における一つの神話となった。この迸る生々しさ。

尋常ではない青い眼のキンスキー。娼館のマダムであり彼のパトロン、良き理解者であるマリーに扮するカルディナーレ。さすがに年齢を感じはさせるが、彼に対する保護者ぶりに現れる母性が逞しくて美しい。ヘルツォークにつきあった撮影のトーマス・マウホも偉いし、盟友である、音楽のポポル・ブー(独のプログレ・バンド)も良い仕事。劇場のポーター役は歌手のミルトン・ナシメントだと思う。

以下、★までラストについて。

以外にも明るくて賛否分かれる顛末だが、ちょっと胸が熱くなる締めだ。憑き物が取れたようなキンスキーのスマイルが眩しい。★

★オリジナルデータ
Fitzcarraldo, 1982,(DE)オリジナルアスペクト比(劇場上映時比を指す)1.85:1, 158 min, Color, Mono, ネガ、ポジ35mm
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