Jeffrey

フィツカラルドのJeffreyのレビュー・感想・評価

フィツカラルド(1982年製作の映画)
4.8
‪「フィツカラルド」‬

‪完成に4年を要したヘルツォークとキンスキーによる傑作にして途方もないスケールの本作は19世紀のペルーを舞台にジャングルにオペラハウス建設を決意する男のスペクタクル映画…現地に出向きインディオを映し夢を映したロマン主義とも言える今作は一度見ておくべき作風かも知れない‬。本作はもともとジェイソン・ロバーズトミック・ジャガーの共同主演だったそうだが、撮影が半ばで、この主演2人が病気とコンサートツアーのために役を降りてそれで急遽キンスキーが呼ばれて、この2人の役を1人に集約する形で脚本が書き直されて、撮影はほぼゼロから再開したそうだ。しかも、撮影途中で、ロケ地のエクアドルとペルー国境付近で両国が国境紛争を開始してしまって、映画のセットが軍によって焼き討ちにあったそうだ。さらには60年ぶりの渇き水で、肝心の船が座礁、何ヶ月も撮影はストップして、やっも雨が降ったと思ったら、今度は歴史的な大雨だったそうだ。

そもそもフィツカラルドの本名ブライアン・スウィーニー・フィッツジェラルドと言って、今世紀初頭のアマゾンの天然ゴムバブル業界の一大語り草になっており、資金的にも、技術的にも無謀の極みとされていたそうだ。当時の駅の跡が残ってたりとかしているそうで、オペラに情熱を傾けていたのは事実で、将来建てるはずのオペラハウスの図面をいっぱい引いていたのが残されていたとのこと。それでもヘルツォークはこの映画を撮り続けたと言う。その他にも逸話はあり、チャップリンのシンポジウムに出席した際に、言葉もうたくさんだ!といきなり「黄金狂時代」のチャップリンの真似をして靴を食べ始めたとかそういう話もあるらしい。そもそもヘルツォークの作品の撮影中の1976年の夏にカリブ海に浮かぶとある島の火山が爆発を起こすと言うニュースを聞いて、7万5千人の全島民が島を退去している最中、

2人のカメラマンとともにその爆発の様子をカメラに収めるために島に上がったと言う話やバイエルン地方の森林地帯で「ガラスの心」を撮影中には、俳優たちを催眠術にかけて演技させただけでなく自ら自己催眠をかけて寒い中で身の凍るような氷の張った河の中に数分間身を浸したと。映画評論家の川本三郎氏が言っていたことを思い出す。確かヘルツォークは、とある評論家が重体になり死にかけた際に、ミュンヘンからパリまで約1ヵ月をかけて徒歩旅行を試みたと言う話もある。確かに1冊の本として出版をされていたと思う。


それにしてもヘルツォークの作品は原始的で、正常な異常もしくは異常な正常と言うばかりのシーンが写し出されて行く。まるで中性的な感覚の持ち主のようだ。確か監督はオペラにも関心を持っていて90年の夏にはバイロイトだワーグナーの楽劇「ローエングリン」の演出を手がけていたし、97年には日本で三枝成彰作曲、島田雅彦台本のオペラ「忠臣蔵」の演出もしている。だから自分の作品でも色々とモーツァルトだったりオペラだったりそういった音楽が加えられている。何かのインタビューで彼は音楽が大好きで、撮影が終わった後編集よりもむしろ音楽のほうに時間をかけると話していたし、音、動き、色彩が目立つ作風の中に錬金術師の存在を見えない形で入り込ませたりしているのが、すごく彼らしい作品だと感じる。なんだろう…言葉に対立するものは音楽と言う感じ…。


確か監督はこの作品をペルーで準備を開始したご、当初主演に予定されたジャック・ニコルソンは、撮影現場に現れることすらなかったと言う。他にも出演を承諾していたジェイソン・ロバーズやミック・ジャガー、マリオ・アドルフも次々と姿を消したと言う。撮影中、現地の人々との衝突も多く発生して、ついには機材保管所に放火されると言う事件も起きた。さらに、エキストラとして参加したインディオは非人間的な扱いを受けたとしてアムネスティーへ訴えてヘルツォークは撮影作業よりもそれらのトラブルへの対応に忙殺されたと言う話がある。それで旧知の怪優キンスキーが出演することになったのだ。この映画はインディオの文化の力強さを賛美するものであると掲げることによって、最後まで撮り終えることができたとか…。
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