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モナリザのSPNminacoのレビュー・感想・評価

モナリザ(1986年製作の映画)
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すらりと長身キャシー・タイソンやボスのマイケル・ケインと、ずんぐり小さなボブ・ホプキンズ。友人役の故ジョン・コルトレーン(若かった!)もかなり大柄で、この凸凹構図が効いている。粗野で安っぽいおっさんジョージが高級娼婦シモーヌによって紳士に仕立て上げられる…逆プリティ・ウーマン?とはいえ、彼は娘に会わせない妻へ暴力的に当たるし、黒人女性を見下すロクでもない男である。
なのに、夢を見てしまう。シモーヌに頼られ、彼女を淑女と崇め、紳士にも神父にもなる。暴力で支配された若い女たちの窮状に心痛めるようになり、身体を張って守ろうとする。自分を棚に上げてポン引きを殴り、娘と同じ年頃の娼婦に同情するとは都合がいい。それでも夜の街での娼婦捜しは、ジョージに有害な男性性を鏡として見せる。そして女たちは男たちの写し鏡。マジックミラー。ジョージにとってシモーヌも「喜ばせる」=夢を与えてくれる幻想だ。
出所後まず愛車を取り戻し、シモーヌの運転手に雇われたジョージは乗り物。探偵小説に出てくる馬であり、利用されて乗り捨てられるに過ぎない。娘が会ってくれるのも車があるから。
高級スーツを着ても所詮はチンピラでしかないジョージ、ボスや客は紳士を気取った下劣な野郎。ジョージの夢が破れるのと同じく、女たちを利用した男たちも反転する。ウサギを持たされたジョージは自分を利用したボスの最期に。幻想が死ぬことで、やっと自分の身の丈に合うささやかな幸せを知るのだった。
ナット・キング・コールのモナ・リザ、アイスクリームのように儚く甘いおっさんドリーム。けどニール・ジョーダンは、哀愁漂うメロドラマや、ファムファタルのノワールになりそうでならない。ジョージが死ぬ結末でもよかったはずだが、そんなカッコいいロマンは甘すぎる。かといって男の身勝手な幻想を省みる、おっさんの成長物語というのもやっぱり甘い。シモーヌの事情だって、まあ今観れば衝撃でもなんでもない。というか、ジョージは末端とはいえ裏社会にずっといたとは思えないほど無邪気で世間知らずだ、もっといえば、随分とおめでたい(だから利用されるのだけど)。
チラチラ覗く視界で幻惑する踊り子の脚越し、動くエレベーターの扉越しショット。友人が作る食品サンプルといい、醜い真実よりフェイクに惹かれる愚かしさや哀れさを、ほろ苦い寓話(小説のフィクション)に包むのがまた巧妙。形を変えて円環するラスト、覚めたはずの夢はまだ続いてるんじゃないか。エンディングで延びたテープみたいに調子っ外れに聴こえるモナ・リザが、そう思わせる。
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