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セルロイド・クローゼットのdendohのレビュー・感想・評価

セルロイド・クローゼット(1995年製作の映画)
5.0
Filmarksで私が満点をつけている『怪物』『機動戦士ガンダム 水星の魔女』については、各所で絶賛されている一方で、クィア表現の観点から批判も上がっている。前者は子供のゲイカップルが描かれる実写映画で、後者は女性の同性婚カップルが描かれるTVアニメである。その批判の論点の理解を深める為、この映画を観た(本映画を知ったきっかけは『怪物』に関する北丸雄二の批評だった)

本作は1995年までの約100年間にわたり、欧米映画においてゲイ/レズビアンがどのように扱われてきたかを描いているドキュメンタリー映画である。各映画の映像と、それに出演した俳優やスタッフのインタビュー映像が挟まれるという構成。中にはウーピー・ゴールドバーグやトム・ハンクス等のスターもインタビュイーとして出演している。


そもそも古のハリウッド映画では同性愛者は殆ど描かれず、出ても哀れみや恐怖や笑いの種という扱いだったようだ。そのような扱いでも『描かれないよりマシ』という当事者のコメントはかなり切実だ。

検閲の時代は全く同性愛を描かなかったが『ゲイにしかわからない間接的な演出』によって同性愛を表現したり、遠回しやセリフで臭わしたりといった具合に何とか検閲を乗り越えた(女中が女主人にクローゼットを開けるシーンが流れたのには息を呑んだ)
このような湾曲表現は現実のゲイも好んだようである。現代日本においても、様々な無機物にBLを見出す文化が一部にあるが、その根幹はここにあるのかもと思った。

1960年以降は、映画の中の同性愛者は常に死ななくてはならない存在。同性愛は普通ではなく異常だから、まともに現実には生きていけない。だから必然的に、殆どの映画において、ゲイやレズビアンは悲惨な最期を迎える。それはヘテロは安心させる為の脚本なのであり、まさに多数派にマイノリティが消費されているという構図になっている。

更に80年代になると、ゲイは恐怖の象徴となり、しばしば暴力的な存在としても描かれることになる。そしてやっとまともに同性愛者が描かれるようになったのが、本作が作られた1990年代ということだ。


まず感想としては月並だが、やはり1995年にこれが作られているアメリカは、本邦よりずっと進んでいるなぁという事だ。95年までの映画をかなり網羅的に扱っており、非常に勉強になった。特に内容に疑義はないし、編集も分かりやすかったので、今回は無批判に点数5をつける。
私ような人間よりも、やはり各種作品のクリエイターこそこの映画を観るべきだと思う。先人の轍を踏まないためにも、特にこれからクィア作品を作りたいならば、この映画を避けては通れないのではないか。
なおLGB以外のトランス等については取り扱われていないので、現代アップデード版を作って欲しいとも思った。



この映画鑑賞を踏まえ、『怪物』『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が批判される理由を自分なりに解釈する。なお以下には2作品のネタバレを記述するので注意。 









まず『怪物』の問題点は、ラストシーンでゲイカップルである少年の二人の生死を曖昧に描いた事だ。死んだと確信した人も多いだろう。
前述の通り、『ゲイが死ぬ』映画はかつて散々作られたものである。『多数派にとって普通の社会』においてはマイノリティはまともに生きていけないということだ。前時代的表象であり、当事者にとって救いのない結末であるが故に批判されているのだ。

とはいえ『怪物』は、マイノリティの苦しみを丁寧に描いているように思うし、ラストシーンだけで全否定するのは流石にどうかと思う。なお坂元裕二の脚本段階では二人の少年は明確に生きていた事は付け加えておきたい。この問題の主犯は監督の是枝裕和である。やっぱり生きさせるべきだったよなぁ。

なお『怪物』はゲイ映画である事を制作側が頑なに認めないことも批判されている。マイノリティに配慮すると、多数派に受け入れられないと考えているのではないか。興行が大事なのは分かるが、それもどうなのかね。

なお当事者である北丸雄二氏もラストについて言及したものの、トータルではこの映画を肯定的にとらえており、広く性的少数者に届けるという意味では、さっさとゲイ映画であることは認めるべきではないかと思った。






続いて『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。本作はガンダムのアニメシリーズのフラッグシップタイトルとしては初となる女性主人公と同性婚約者を描いており、最終話にて二人は正式なパートナーとなる(結婚していると思われるが名言はされない)

問題とされているのは、最後まで二人の性的自認や性的嗜好が明確に描かれず、確信に迫る描写(愛の告白、キス、性行為、結婚式など)が描かれないことで、結果的に二人の関係は友愛(友達婚)だと思っている視聴者が多数存在すること。男性キャラクターとの関係性が常にチラついており、同性カップル関係が不安定な状態であることである。

メンズとの関係性は物語に緊張感を確かに与え、リアルタイムでの視聴中、それは毒にも薬にもなり得るものだった。しかし最終的に女性二人が結婚したことで、『二人が結ばれるまでの試練だった』と肯定的に捕らえることは出来るようになったと思う。

その一方、同性愛関係をボヤかすのは『セルロイド・クローゼット』内でも批判されていたことである。未成年のセックスシーンすら描いてきたガンダムシリーズにおいて、性描写のハードルはかなり低いはずである。ましてやキスなんか余裕だろう。異性愛で出来た事が同性愛では出来ないという訳がない。結婚を匂わせるだけでなく、やはりキスぐらいはするのが正解だったと思つ。

...とはいえ戦争を描く為に、常に登場人物が死のリスクを負っているガンダムシリーズにありながら、最後まで双方が明確に生存し、(明確化されてないとはいえ)同性結婚を果たした点は『怪物』と異なり評価されべきではと思う。
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