とうじ

さすらいのとうじのレビュー・感想・評価

さすらい(1957年製作の映画)
4.5
最も難解でとっつきにくい映画監督のうちの1人として知られているアントニオーニだが、割と自分は好きで、特に「難解だから煩わしい」と思ったことはない。
彼の「砂丘」という映画では、砂漠の丘陵地帯で、100人くらいの男女が乱行プレイをしていて、地平線の彼方まで人々の裸体で埋め尽くされているというシーンがあり、そういう画を撮れる人に、わかりやすさなんていらないのである。
それで、本作なのだが、彼のかなりの初期作なのもあり、後の有名な作品群に見られる、洗練のされ方はしていないまでも、しっかりといつも通り「目に見えないもの」に振り回される人の物語を描いている。
目に見えないものを、見えないままにするのは耐えられないのが人間なので、それを可視化したものが、「家族」「結婚」「工場(お金)」などであり、それに伴う様々な行動なのである。
しかし、目に見えないもののうち、最も重要なものは、到底可視化できない。それは皮肉にも、見失ってしまえば人は生き続けることができなくなるほど重要なものであり、それを表現する言葉とは、「愛」、もしくはトートロジーに甘えて「生きがい」ということになるのだろうが、それらの言葉は正直頻繁に使われすぎている。
本作の主人公は、その可視化できないものが自己の世界から滑り落ちていくのを突如実感してしまう。そこから、彼はさすらいはじめるのだが、彼はそれを取り戻すためにそれを追っているのか、それとも別の何かから逃げているのか?
こういう観念的な冒険譚のイメージは、アントニオーニのどの作品にも共通するものなのだが、本作は主観的観念と客観的リアリティを交差させることのない、最後まで客観的リアリティに地に足ついた語り口で物語が進んでいくので、より冒険者の凍てついた孤独と絶望がわかりやすく表れている。
あと、毎回アントニオーニの映画は音楽がかっこいいのだが、本作のビル・エヴァンス風のしっとりとしたピアノで奏でられるサントラも、なかなか胸に沁みる。
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