ケンヤム

死刑弁護人のケンヤムのレビュー・感想・評価

死刑弁護人(2012年製作の映画)
4.6
このドキュメンタリーを観て一番感じたのは、大衆にとって真実はさして重要なことではない。記号化された虚構こそが重要である。
ということだ。


善と悪。
あいつは悪いに違いない。
あいつがやったに違いない。
このように記号化して物事を見た方が、思考しなくて済むから、楽だ。
記号化して集団で熱狂することが、快感を生む。


犯人がどのような思考を持って、どんな事情があって、どんな状況で、こんな悲惨な事件を起こしてしまったのか考えることは何よりも重要なはずだ。
その先に「どのように罰するか」という判断があるはずであって「こいつを死刑にする」ために裁判をしてる訳では決してない。
安田さんはそこを問題視してるのだと思う。
真実を追い求めない、結果ありきの検察や警察の非民主主義的な姿勢を問題視している。


よく考えたら、この国は相当異常な状況にあるのではないか。
国民が真実を知ることを拒否する。
警察が真実を知ることを拒否する。
検察が真実を知ることを拒否する。
マスコミが真実を知ることを拒否する。
この国は、相当前から狂っている。
世の中が一方に流れる一体感のようなものに酔いしれている。
そこに真実はさして重要ではなく、記号化された虚構だけが求められる。



死刑という制度の本質は何か。
生きる価値のある人間と生きる価値のない人間を選別する。
死刑という制度の本質に、このような残酷で、倫理的に不合理な側面があることを否定できる人はいないと思う。


このような死刑という制度の、残酷で不合理な面を見て見ないふりをして「人を殺したやつは命をもって償うべきだ」というような感情論で死刑を肯定することは、死刑という国家制度を議論する上で弊害にしかならない。


死刑執行を待つ死刑囚の気持ちはどんな気持ちなんだろう。
死刑執行のとき、死刑囚はどんな気持ちで13段の階段を登るのだろう。その時、本当に心の底から反省しているのだろうか。
死刑執行のボタンを押す人はどんな気持ちなんだろう。ボタンを押す人を複数にして、押した人をわからなくするらしいが「私が殺したかもしれない」という気持ちは残る。
死刑囚の死体の後始末をする人の気持ちはどんな気持ちなんだろう。


死刑制度を議論していく上で、大切なのは上に挙げたようなリアリティのある生身の思考なのだと思う。
冤罪事件が頻発している今、死刑という制度をリアリティをもって考えなければならない時が来ている。
「生きるに値する人間」と「生きるに値しない人間」を「自分が生きるに値する人間なのかしない人間なのか自分でも分からない人間」が選別する。
そんなことが果たしてできるのだろうか。
不可能なことであるなら、直ちに他の刑罰の方法を考えるべきだ。



この映画のレビューを一通り読んでみた。
少し文句を言いたいと思う。
なぜ文句を言うかというと、その方が私の考えていることを述べる上で、便利だからだ。
悪く思う人がいたとしたら謝ります。すいません。


安田さんのことをイデオロギーに凝り固まっていると批判しているレビューが散見される。
イデオロギーに凝り固まってるのはどっちだよと思う。
死刑賛成論者が口を揃えて言う「悪人は命をもって償え!」と言う言葉。
これこそ、イデオロギーだろ。
思考停止したいがための言い訳でしかない、議論を放棄するイデオロギーだ。


もちろん、私も人を殺した人が更生して普通に暮らすなんてことを許せるわけはない。
それでも、残酷な事件が起こってしまった以上、その事件を無かったことにすることはできない。
死刑という制度は、犯人を殺すことで事件自体の存在をうやむやにしてしまう制度だと思う。
事件の存在自体を無かったことににすることが被害者遺族のためになるとは思えない。

人を殺めた人間は生きて償うべきだと思う。
死ぬことより生きることの方がよっぽど辛いことだ。
死刑という制度をもって、犯人を殺してこの世に存在しなかったことにするという作業が、良い社会を作っていくとは思えない。
しかも、その作業は日本国民が一体となって進めていく。
日本中が「殺せ!殺せ!」の大合唱。
こんな大合唱が巻き起こる日本という国が、正常だとはどうしても思えない。
こんな野蛮な大合唱が、この国をいい方向に連れていくとはどうしても思えない。


こんな異常な事態を引き起こさないためにも、犯人は、一生を通して事件について考えるべきだし、社会の一員である私たちもまた考えていくべきだ。
犯人を殺してしまうことで「一件落着」させてしまう方が犯罪者にとっても、私たちにとっても随分楽だ。
苦しくても、目を背けずに向き合うことでしか、死んでいった人は報われない。
社会はいい方向には進まない。


この国には、死刑という制度に対する議論の土壌を耕していくことが、求められている。
死刑制度を見て見ぬ振りをする現在の状況を変えなくてはいけないことだけは確かだ。
ケンヤム

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