Jeffrey

原子力戦争 Lost LoveのJeffreyのレビュー・感想・評価

原子力戦争 Lost Love(1978年製作の映画)
3.0
「原子力戦争」

冒頭、東北のとある港町。海岸で男女の心中死体が発見される。田舎に戻った青年ヤクザ、東京から女を連れ戻す、行方不明の女探し、原発、技術者、闇の権力、四人の遺体。今、奪ったものと引き裂いた者を巨大な絡繰の中に探す男と女の物語が始まる…本作は黒木和雄が一九七八年にATGで監督した原作田原総一朗の反原発小説の映画化である。なんと言ったってパリコレモデルの山口小夜子が原田芳雄と主演を務めてるのだから激アツである。今の若い子は山口を知らないだろう…資生堂専属モデルで世界的に旋風を巻き起こしたスーパーモデルである。今は富永愛にとって変わった和のモデルの元祖である。映画と話が逸れるからあまり言及しないが、彼女のドキュメンタリーを是非観て欲しい…後に五七歳の若さで謎の死を遂げた山口は鈴木清順の「ピストルオペラ」にも出演し、江角マキコと共演する。また、寺山修司の「上海異人娼館 チャイナ・ドール」にも出てたかな確か…。

本作は長らく円盤化されず、VHSのみだったが二〇一一年にDVD化されて漸く観れた映画である。彼此五年程前に見たのかな。何故だかサブタイトルにLost Loveが付く。何気に田原はATGで映画を共同で監督してるだよな。本作はドキュメンタリータッチで撮ったサスペンス映画で、色々とトラブルがあったそうだ。本作は当時から全人類の未来に関わる事柄として関心を集めていたエネルギー危機を背景に、激しい論争が繰り広げられていた原子力発電問題に真っ向から挑んだ意欲作として黒木のフィルモグラフィーの代表作の一本である。

さて、東北のとある港町の海岸で男女の心中死体が発見される。田舎に帰ったまま戻らない女を連れ戻しに東京からやってきた青年ヤクザは、女の行方を探し求めるうちに海岸の死体が自分の女と地元の原発で働く技術者であることを知る。死ぬはずのない女の死因を追求する青年ヤクザは、大きなどす黒い罠の渦に飲み込まれてゆく…。本作は冒頭に海岸の波飛沫のファースト・ショットで始まる。地元住民の人々が血相変えて浜辺を走る。そこには若い男女の心中死体が流されていた。それぞれの手首に紐で結ばれた死体。カットが変わり、ー人の女のクローズアップで原子力戦争とタイトルロゴが出現する。続いて、東京から地元へと女を連れ戻しに来た白いスーツの青年ヤクザの男が駅のホームから外へと出る。男は交番に立ち寄り何かを聞いている。カットは変わり、違う男と女が布団に横になり原発の闇を探っているような話をしている。

続いて、港の湯と言うお店で青年ヤクザの男がかき氷を食べながらその場にいたおばあさんに女の名前を知らないかと尋ねる。老婆は知らないと答える。男はベンチに座りため息をつく。次のカットで一瞬白人が映り、冒頭に一瞬現れた黒髪の女の後ろ姿が捉えられる。そこでお店の女性があなたが探している女の望って人のいる場所を伝えて男はその場へ走って向かう。カメラはその後を追う。すると到着したところは古風な邸宅である。その女の名前は青葉望。その父親が何か勘違いをしたようで私の土地は譲らないと激こうし青年を追い返す。彼は彼女に六〇円の借金をしているようだ。それを取り返しに来たのだ。彼は望の兄貴の職場のオフィスにやってきて兄貴を半ば大声で脅す。続いて、彼は居酒屋にやってきて、隣に座ってきた男に望がヤクザの紐がいたと言うことを知らされる。青年ヤクザは青葉望が死んだことを知らされる。ヤクザの男の名前は坂田正首…と簡単に冒頭説明するとこんな感じで、原子力発電所の恐怖を描いたサスペンスドラマである。


いゃ〜、やはり原田芳雄が最高すぎる。見えない権力の闇に巻き込まれていく青年ヤクザを熱演してくれている。今思えば「竜馬暗殺」や「祭りの準備」などで黒木監督作品に多く出演している彼の個性が本作でもうまく生かされている。そこに世界的に有名なファッションモデル山口が映画初主演となっているのだから凄い映画である。それに原田と山口の濡れ場のシーンがなんともエロい、濡れまくりだし山口が妖艶すぎてたまらない。一方の原田はアウトローすぎてかっこよくて最高。良い意味で獣そのものである。この映画途中で原子力発電所に撮影クルーが入ろうとして止められるアクシデントを映画の一部として扱っているのには驚かされた。さすがドキュメンタリー作家黒木和雄らしいんトラブルを自分の作品の要素に加えてしまうと言う力量だ。あのクライマックスでトンネルを日傘をさして歩く女の後ろ姿をとらえたロングショットと浜辺に浮かび上がる〇〇の死体で終わる感じが非常に怖い。

そもそもこの作品がDVD化された年が二〇一一年と言うことで真っ先に思い出すのが東日本大震災(三.一一)であろう。その影響で福島第一原子力発電所で起こった事故の混乱した状況下をまさに重ねているような作品と言うことで、円盤化したのだろうけど、田原総一郎と言うのは昔から反原発で有名だが、日本に石油埋蔵量がありながら原発をやっているなら反対と言う意味合いも非常に納得いくのだが、現に日本と言う国は全くもって資源のない島国である。そうすると原発に頼らなくてはいけない部分もあると私は思うのだが、果たしてそこら辺はどうなのだろうか。私個人原子力について知識がないため、無知蒙昧な視点から物事を言っている事を先に言っておく。

もし仮にきな臭いことが現実に起きた場合に、原子力をなくしていた国々に、石油市場を止められてしまった場合はその国はどうしようもなくなってしまうとも感じるし、オイルショック等で石油の値段が上がってしまえば、当然原子力のほうが安いと言う政治的な問題も起こってくるのではと個人的には思う。実際に日本が石油を入れている国々は今も不安定な状況が続く中東であって、サウジアラビアやイラン、カタール、クウェート、アラブ首長国連邦、ロシアその他であるあるし、北方領土問題があるロシアからもらうにしても、数年前には中華人民共和国による反日行為で貴重な資源が日本に入ってこなかったと言う事例もあるので、やはり政治的イデオロギーによってそういった嫌がらせのような事柄もする国が残念ながら日本の周りには多くいると考えると、ー種の国の安心感の源である原子力と一種の国民の不安感である原子力との対比との対立に持ち込まれてしまうような事柄がずっと続いているんだろうなと感じる。

政治的思想が似たり寄ったりの黒木と田原がいかにこの原子力を取り巻く政治的イデオロギーを引き合いに作ったかが映画全体を見てわかる。もちろん主演の原田芳雄もどちらかというとそっち側の人間なのじゃないかと思う面もある。この作品は原発推進派も反対派もいちどは見ておいて良いとは思うのだが、やはり政治的な陰謀と言うものを物語に絡めている分、バイアスがかかっているように感じるが、きちんとこの作品を見た上でその原子力と言うものがいかに日本にどのように役立っていて、どのように役立っていないのかなどをここで調べるのが重要かと思う。少なくても原子力に頼って生活している我々がこの問題について無知である事は許されないだろうと感じる。

そもそもこういった原子力問題についてぐちゃぐちゃにしているのがマスメディアと政府の意見が違うというのが新聞に載る事だと私は思う。今日の学術会議の事柄もそうである。原子力が設置されている都道府県は安全と言う事は百も承知で、しかし新聞や雑誌では危険と言う意見を多く出している。すでに二極化されている意見(思想)がこの問題を複雑な迷宮へと入り込ませているんじゃないかと感じる。さて話を映画に戻すと、実際の田原の原作を読んだ事はないか、登場人物がチンピラの男に変わっているようだ。しかしそこが逆に面白いのかもしれない。自分が思ったのは、チンピラなりのカンで失踪した女を探す男が徐々に原発問題へと関心を持っていき壮絶な〇〇の帰結へと向かう点だ。なかなかドラマとしては面白いんじゃないかと思う。ただでさえ重たい雰囲気のテーマを扱っている分、ドラマ性には満ちていた。

この作品は小さな町で四人の変死体が最終的には見つかると言う流れになるのだが、そこが田原総一朗らしいというか実際原作ではこうなっているのかわからないが、黒木和雄らしいというか、この小さな町で原子力で働いている技術者の死体だったりそれを捜索する人たちの死体だったり、いかに政府の陰謀で殺されたか的な様相を見せているのが少しばかり不満でもある。よく調べてないから間違っていたら申し訳ないが、実際にそういった殺人事件が起きているわけではないだろう。仮にそういった事件が今後起きるのではないかと言う暗示を含めて描いているのであれば、今現にそういった事件が起きていることもいないし、そこら辺もう少し中立に描いたら良かったんじゃないかなと思う。

だけど、その死んでしまっている人たちが他殺と言う証拠があるわけでは無いように映画はきちんと作られているので、そこら辺は良かったと思う。でも結局のところ事件性が明白でないから自殺で片付けてしまう横暴なやり方と言うのを見せつけているようにも感じてしまう。この映画を最終的に見直して思った事は、傍観者でいる事はダメで無関心でいてはいけないと言う事は感じ取れた。原子力の問題は我が身となって考えるべきだと作者は言いたいんだろう。
Jeffrey

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