Soshi

コンラック先生のSoshiのレビュー・感想・評価

コンラック先生(1974年製作の映画)
4.5
川は渡るためにある

<概要>
サウスカロライナ州の離島に白人の先生がやってきた。そこは黒人だけが住む島であり、雑貨屋以外に白人は1人もいない。先生の名はコンロイ。小学校に勤務する予定だ。担当は5年〜8年生のクラスである。教鞭初日、校長のスコット夫人に奇妙な教えをいただく。それは「黒人の子どもは強く育てなければ。島を出た時心が折れてしまわぬように。だから鞭を振るうのです。甘い考えは捨ててください。」という、黒人ながら黒人を見下す発言だった。呆気に取られクラスに入ってみる。するとコンロイという発音ができない。コンラックと呼ばれる。焦りを感じる。ここの州の名前は?首都は?1+1は?全部わからない。自分の名前すらハッキリ発音できない子がいるではないか。そこで先生は、ベートーベンの交響曲第5番かの有名な「運命」を聴かせる。観たことがないと聞くと、映画をクラスで上映する。クラスで暴れまわる体力があるのなら、外へ出てアメフトをさせる。島の住人がみんな泳げず、川に落ちたら溺死すると聞けば海で泳法を教授する。この時代において革新的な教育を施す先生に、教育委員会は黙っていない。鉄槌を与えるべく委員会が起こした行動は先生を解雇することだった。それに住民は怒りを露わにし、学校をボイコットしようとする。その甲斐虚しく、先生は離職せざるを得なくなった。

<感想>
「奇跡の教室」のゲゲン先生に続き、目指したい教員の1人となった。

秋田県が日本で1番学力が高い県という事はご存知だろうか。なぜ高いのか。総合的な学習の時間に力を入れていることが1つ挙げられる。コンラック先生のクラスでは、座学で学ぶ事は少なかったが、外へ積極的に出て学ぶ校外学習が中心であった。まだ初歩の段階であったため、校外で学んだことをクラスに持ち帰って話し合いをすることはなかったが、きっとこれも総合の時間の一環であったと考える。
加えて、座学だけが教育ではない。educationの語源educe(引き出す)が必要ではないか。できる子とできない子に区別するのではない。まず教師自身が子どもの興味を「引き出す」ことが大切なのである。
この2つを持ってして島の子どもたちが最後には州や、詩人、作曲家など一般常識を理解するまでになったのだと思う。

最後の別れ時にベートーベン第5番「運命」が流れていたが、なぜショパンの「別れの曲」が流れなかったのが疑問に思った。授業で使ったからではない。「ダダダダーン♪」と誰もが知っている冒頭のこの部分はベートーベン自身、「運命がドアを叩いている時の音」と言っている。彼自身難聴を患っており、音楽家生命の終わりが近づいている音であったと捉えることができる。それになぞり、コンラック先生の教師を辞めざるを得ない運命を表しているのではないかと読み取ることができた。



借りてきたゲオで、この作品が4つも陳列されてたのにレビューが15って…
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