村田冬真

空中庭園の村田冬真のネタバレレビュー・内容・結末

空中庭園(2005年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

自分が子供の時に得られなかった「幸せな家庭」を築くために、自分を殺して生活する母、小泉今日子。

彼女も「幸せな家庭」というのは学芸会と同じような「ごっこ」(幻想)であり、家族みんなが役割を演じていることを知ってる。

役割を演じることは一種の安心感を与えることだとは思う。「ごっこ」であることで、向き合いたくない現実との距離感を保てるから。

ただ、「母親」「妻」である前に、一人の人間なのだから、その自分が一人の人間として感じたり考えたりしたことを笑顔で押し殺して、その役を演じ続けていたら、歪みが出てくるのは当然。

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「自分がない」ように見えるこの小泉今日子の、そのような性格の根源には、やはり家庭環境があるのだろう。
彼女は幼少期に母親から「見てくれている」「肯定してくれている」という実感が得られずに、自分の存在を肯定できなかった。

人は、まず他人(自分を産んだ親がやはり1番なのでは)が自分の存在を肯定してくれないと、自分を肯定できないと思う。

最後のシーンで、母親から自分の誕生日を初めて祝ってもらった(と少なくとも彼女は思っている) 小泉今日子が、血の雨の中、叫ぶシーンは印象的だった。
生まれたての赤ちゃんのように血まみれで、泣き叫んでいる。
あれはまさに「新たな自分の誕生」の象徴だと思う。
母親から自分の存在を肯定してもらい、自分を初めて肯定できた瞬間なのかも知れない。

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家族と言っても、違う人間の集まり。
良い関係を築きたいのならば、他人と良い人間関係を築こうとするのと同じ努力が必要。実際その2つは同じことだから。

相手が変わる必要があるかもしれないし、自分が変わる必要がある時があるかもしれない。大事なのは変化を恐れないこと。

誰も完璧じゃないから、問題もあるし対立も当然ある。
その度に素直に話し合うことが何よりも重要だと思う。
「繰り返し、やり直し」。
(やり直しが効かないこともあるとは思う)

観覧車や回転式ベッドや、フレームが回るカメラワークなどは、失敗とやり直しを回転するように繰り返す家族の象徴なのだと見た。

よく考えたら、家族というのは人類史上最も長い連鎖だ。

もし自分が世代間連鎖の結果、何かの問題を抱えているのなら(必ず抱えている)、その時は自分が、「やり直す」ことができる人間になりたい。
村田冬真

村田冬真