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はなればなれにのnetfilmsのレビュー・感想・評価

はなればなれに(1964年製作の映画)
4.2
 若者は自分たちの本当の価値を知らない。そしてもれなく道を踏み外す。死ぬ間際にゴダールは何と青臭い馬鹿な映画を撮ってしまったのかと後悔したかもしれないが、若く瑞々しい時期にしか撮れない若さの結晶でもある。若者たちはしばしば成功と失敗を天秤にかけない。運さえも全て独り占めしたような万能感にしばし浸る。それこそが若者の根拠なき自信なのだ。SEXも犯罪もドライブも何もかもが大人顔負けに出来ると勘違いしている。その意識のズレに監督自身が乗っかる。共に推理小説マニアのフランツ(サミー・フレイ)とアルチュール(クロード・ブラッスール)の設定などどうでも良い。推理小説マニアであろうが何だろうが、彼らは奈落の底に突き落とされるのだから。手に握るのはおもちゃの銃でもナイフでもない。彼らが入れ上げる英語学校の生徒オディール(アンナ・カリーナ)も何だか妙に座りが悪い。脚立のエピソードなんてゴダールらしからぬどん臭さが残る。『カラビニエ』もそうだったがこの時期のゴダールは創作のスランプではなく、あえて壁にクラッシュしに行っている感覚がある。あえて負け続ける人生と映画。しかし映画作家としては絶えず止まらず走り続けた。

 クランク・インの少し前、当時ジャン=リュック・ゴダールの伴侶だったアンナ・カリーナは自殺未遂をした。彼女に生きていて欲しいと願ったゴダールは彼女の為に今作を作った。カラー映画『軽蔑』の前。モノクロ映画で殆ど金もなかったし、やりたいことを好き勝手やれた。ゴダールは映画を撮ることで我が妻を救いたいと思ったが、結局救えなかった。だがアンナ・カリーナはゴダールと別れ、79歳まで生きた。3度も結婚した。登場人物たちは殆ど自爆だが、ゴダールも無残に自爆した。その意味で思い付きで場当たり的。当然、演出は即興で結末もぼんやりとした展望があったのかどうかはもはや定かではない。然しながら中盤の「マディソン・ダンス」の場面にカメラを向けるゴダールはアンナ・カリーナに本気で恋していた。のちのインタビューでサミー・フレイとクロード・ブラッスールの振り付けを覚えられないどん臭さにゴダールはほとほと参っていたようだが、アンナ・カリーナだけはゴダールの思い付きで創作したへんてこりんなフリをすぐに覚え、ずっと踊っていた。監督と女優。夫と妻。カメラの後ろと前。映画を撮る時の夫婦の間は夫婦にしかわからない空気感だが、1人取り残されるアンナ・カリーナのあの空気にはゴダールが秘かに寄せた愛が映る。ルーヴル美術館を9分43秒で駆け抜けた永遠と刹那に馬鹿な若者だったゴダールの在りし日が滲む。恥かしげもない恋の記録。
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