第42回カンヌ国際映画祭(1989)審査員グランプリを受賞したGiuseppe Tornatore脚本監督作。
映画好きヲ謳う人が本作を真っ先に挙げることが多くて、その人数の多さに昔から胡散臭さを感じていて勝手に敬遠していたのだが…初老のトトの年齢に近くなっての初鑑賞。
先ず目につく点が…。
イタリア語は通じないけど芝居が目茶苦茶デカいのは分かる。普通にオーバーアクトで下手くそだと思うけど…OKテイクとは思えない。
まるで舞台かのような、フレームから大きく逸脱した大仰な芝居。言葉が通じなくてもBehaviorで自然か不自然かは判断つく…。
殆ど全ての人が大げさ…これはイタリア人の気質?いやシチリア人の振る舞いなのか!?
前半は特に気になったのだが…それはシチリア人に馴染みがないからそう見えたのかもしれない。…確かに後半は然程気にならなかった。
アルフレードを演じたPhilippe Noiretと、トトの中年期を演じたJacques Perrinの2人の芝居はグッとフレームに納まって素晴らしかった。
○映写室
Salvatore Cascio演じる少年期トトとアルフレード。
トト
「なんで僕に教えないの?いまは簡単なんでしょ?」
アルフレード
「教える気はない。こんな仕事に就くな。奴隷と同じだよ。それに孤独だ。同じ映画を何度も見るだけだ。気付けば俳優たちに話しかけてる。復活祭もクリスマスもロバのごとく仕事だ。休みは聖金曜日だけ。もしキリストの受難がなければ、休みもなかった」
トト
「なんで仕事を変えないの?」
(う…この質問は重すぎる。そんな文句ばかり言うなら仕事変えればいいじゃん…という純粋無垢な正論に返す言葉もない。これを返せる大人はいるのか?)
アルフレード
「(笑)ヘッヘッヘ…無知だからさ…。他に誰がこんな仕事をする?引き受けるのは俺みたいなバカだけだ」
ぬぉ…これも正直すぎる答え。
こんな正直で素直な大人いるだろうか…
アルフレード
「…運もなかった。俺みたいな大人になるか?どうだ?」
トト
「NO…」
ツライ…
トトの真直ぐな眼差しがツライ。
アルフレード
「いい子だ、トト!さすがだ!お前のために言うぞ。ここは夏は暑いし、冬は凍えるように寒い。煙やガスもひどい。おまけに稼ぎは僅かだ」
トト
「本当に嫌な仕事だね」
アルフレード
「でも慣れたよ…それに、ここまで客席の歓声が聞こえると、こっちまで嬉しくなる。笑い声はいいもんだ」
コロナ禍により、マスクをしても大声を出すなと…そんな状況が続けば続くほど、本当にシンプルに笑い声はいいもんだ!と切に感じる。
気心知れた人らと、気兼ねなく大声で話し、大声で笑う。こんな当たり前なことが、当たり前にできない。その弊害のお陰でもあるが、そのシンプルなことこそが、人間が生きる上で最も大切なのではないかと気付かせてくれたことは、これから先の人生においては大きな財産になったのではないかと思う。
アルフレード
「笑い声はいいもんだ。自分が笑わせた気になる。辛いことを忘れさせてやれる。その点は好きだ」
いい台詞書きますなぁ…
○映画館の外
満員御礼で入りきれないで溢れた人々。
アルフレードに懇願する民衆。
そこでスクリーンに向かっている映写機の光を、半分だけ反射させてる?映写機の光はスクリーンにも向かってるし、反射した光は映写室の中にも飛んでいる。これはどういう原理だ?
こんなこと実際にできるのだろうか…
この反射させた映写機の光を、町中の建物の壁に投影させる。
ん?絶対にピントずれるよね?
スクリーンと建物の距離が全く違うんだから…ドンピシャでピント合わないと思うけど…
しかも…鏡で反射させてたら…左右反転するよね?ん?
とはいえ…心優しいアルフレードの人間味が伝わる温かいシーンである。
町で唯一の娯楽である映画館。
いまや娯楽に溢れてしまった現代から忘れられてしまった光景である。
みんなで楽しむこの感じ、なんだか温かくていいなぁ…櫓の周りに集まって、みんなで盆踊りするような賑わい。いいなぁ…
スマホという小さな箱の中でしか生きてないような現代人。もちろんその恩恵もあるが、失われてしまったモノも多い気がする。
○学校
卒業認定試験を受けるトトたちと一緒に、戦争のためか?教育を受けられなかった一般の大人たちも受けることに…そこにアルフレードの姿が。計算が全くできないアルフレードは、斜め前に座るトトに助けを求める。
はじめは答案用紙を見えないように隠していたトトだが…最後には問題用紙をちぎって、アルフレードに投げる。
バレバレだと思うけど…まぁいいか。
ここから、二人の距離がさらにグッと近くなる。互いの需要を、互いに補完し合うことで、距離感を縮めていくのは、一番分かりやすく共感を得やすい描き方。
トトは計算を教えて、アルフレードは映写の技術を教える。互いに持ちつ持たれつ。
そういや映写機が1台しかないな…。
これでは上映中にフィルム交換の為に何回も中断しないといけなくなるけど…まぁいいか。
○映写室
フィルムが突如として発火。
アルフレードはリールを守ろうとするも引火。
炎に包まれるアルフレード。
○映画館の外
逃げ惑う人々。
外で見ていたトトが映写室へ走る。
○映写室
気を失っているのか…
死んでるのか…
意識のないアルフレードをトトが一人で運ぶ。
無理だよ!トトのような小さな子に、気を失った大人を運べる力は絶対にない!引きずることもできないはず!意識があれば違うけど…意識のないカラダがどれだけ重いか…
しかも階段まで一人で降ろすの?
それは無理だよ。
なにが信じられないって、アルフレードに頼み込んで家の壁に映写してもらって、無料で映画を楽しんでた大人たちが、火事だと分かってるのに、誰一人として映写室へ駆け込まないこと。
あれだけの人がいて?一人も行かないの?
みんな逃げたの?映画館の中にいた奴らが逃げるのはまだ分かるけど…外にいた奴らまで逃げる必要ないだろ?
お前らは先ず救援体制に入れよ!
なに逃げてんだよ!
こんな小さな田舎町は、みんなが知り合いで、みんなの助け合いで成り立っているはずなんだよ。それなのに、アルフレードの救助にすら行かないなんて不自然だよ!
そりゃトトひとりで助けに行った方が劇的だろうけど…
カトリック教徒でいいのかな?教会でのお祈りシーンとか散々あったのに、この町には布教してないのかよ?信者は誰もいないの?
【汝の隣人を愛せよ】じゃないの?
宗教のことは詳しくないけど…
外で映画見てた人たちこそ、真っ先にアルフレードのもとへ助けに行って欲しかったけどね…
○映画館前
全焼してしまった映画館の前の民衆。
そこへサッカーくじで大当たりしたEnzo Cannavale演じるスパッカフィーコが現れる。
○映画館(改装後)
ニューシネマパラダイスと光るネオン管。
スパッカフィーコがコネで技師免許を取り、実働をトトに任せる。
トトが映写して映画が流れる。
上映中、付き添い人と共にアルフレードが現れる。サングラスをしているが、どうやら目が見えなそうだ。
アルフレード
「学校はどうだ?」
トト
「楽しい。でも働き始めたからもう行かないよ」
アルフレード
「それはダメだ、トト。学校は行きなさい。じゃないと、いつか後悔する」
トト
「どうして?なんでさ?」
アルフレード
「つまりな…この仕事は、お前の仕事じゃない。映画館と、お前の相思相愛は長くは続かない。いつの日か気づくさ。別のことを…するべきだと。もっと大事な仕事だよ…俺には分かる。視力を失っても見えるんだ。(トトの顔の前に手を翳すして…手を降ろすと、トトが青年に変わっている)前よりもずっと、命の恩人トトのお陰だ。一生忘れない。そんな顔をするな。俺はボケてないぞ」
日本語が繋がってないけど…
「前よりもずっと、命の恩人トトのお陰だ。」
え?ちょっと何言ってるかワカラナイ。
ここで強引に繋がなくても良かった。
せっかくの素晴らしい台詞が台無し…
「映画館と、お前の相思相愛は長くは続かない。いつの日か気づくさ。別のことを…するべきだと。もっと大事な仕事だよ…」
映画館と、お前の相思相愛は長くは続かない。
いいなぁ…いい台詞。
20代を渋谷のミニシアターで働いていた自分には痛いほど胸に刺さる。
○映画館
二階の客席に座り、旧劇場の頃から階下に唾を吐く男は何がしたいの?キミは誰なの?なんの為に唾を吐くのよ?
メジャーリーガーでも、プロサッカー選手でも、試合中に関係なくペッペッと唾を吐くけど…いい加減、あの唾吐き行為は罰金にした方がいいと思うのだが…見ていて気持ちの良いものではない。
なぜあんな行為が今までまかり通ってきたのか…
もういいだろ?外だからOKなの?どういうつもりでやってるのだろう?インドアのバスケット選手とか、絶対にやらないもんねぇ!
そろそろホントに禁止にしようよ。
サッカー選手なんて、ペッペッ唾吐いた芝生の上をスライディングタックルしたり、倒れたりするやん。絶対に触ってると思うし、髪の毛とかにも絶対に付いてると思うよ。
やめなよ。
なでしこジャパンを見ていて感じたけど、誰もそんなことやらないから、やはり見ていて気持ち良いよ。メジャーリーグを席巻している大谷クンだって唾吐きは見たことない…
○駅
Agnese Nano演じる転校生のエレナを8ミリフィルムで盗撮するトト。
どえらい美しさのAgnese Nano。
見るものを黙らすこの説得力。
ナイスキャスティングですねぇ〜。
○映写室
アルフレードと、Marco Leonardi演じる青年期のトト。
トトが撮影した8ミリを見る。
アルフレード
「青い目の女は最も手強い。友達にさえなってもらえない。どうしようもない。想いが募るほど深い爪痕が残る。心は苦しくなるばかり。一方通行だと知っているからだ」
トト
「いいこと言うね…でもさみしい」
アルフレード
「『丘の羊飼い』のジョン・ウェインの台詞だ(笑)」
適宜、TPOに合わせられることが出来れば映画の台詞もなかなか使える。
キザな台詞や、口説き文句は使わない方がいいけど…
○教会の告解室
エレナが待っている。
トトがアルフレードに神父の引き止めを頼む。その間にトトが告解室へ。
エレナと話すトト。
エレナ
「サルバトーレあなたは親切でいい人よ。でも私は愛してない」
トト
「いいんだ。僕は待つ」
エレナ
「なにを?」
トト
「君が僕に恋するのを…聞いて。仕事が終わったら毎晩、君の家の下に行く。毎晩待ってる。考えを変えたら窓を開けて。それが僕への合図だ」
ストーカー行為なんですけど…
アルフレードから、この前のシーンで、ある王女と兵士の100日間の話を聞いたからとはいえ…これは現在なら美談でも何でもなくて、ただの気持ち悪い男であって…犯罪行為です。
ロクに話もしてないのに、何で待ってるだけで想いが伝わると思ってしまうんだろう…それが若さ故の過ちなのか?
アルフレードは、実際に待ってるだけじゃダメだよって教えてあげないと…
○エレナの家の外(夜)
言葉通りに実行する犯罪者トト。
家の場所も教えてもらってないのに?
エレナの部屋だって教えてもらわなきゃ、どの窓なのか分からなくないか?
すでに知ってる感じで一点見つめのトト…気持ち悪いです。
「考えを変えたら窓を開けて。それが僕への合図だ」というのも…夏場なら暑いから窓は開けるだろうし…夏場でなくても空気の入れ替えで換気のため窓は開けるよね?
窓を開けたら僕への何の合図なんですか?
これは成立してないだろ?
ロマンチックでも何でもない!
ロマンチックなのは、Ennio Morriconeの音楽だけ!特に主題曲”Cinema Paradiso”は素晴らしいね!この曲だけで悲哀の向こう側へイキそうである。
音楽のもつチカラの偉大さよ…
○エレナの家の外(日替わり)
大晦日の夜。
カウントダウンをする声が聞こえる。
年が明けると同時に、各家々から、様々なモノが外に投げ落とされる。グラス?お皿?なにかわからないが、とにかく割れ物であるのは確認できる。
これは何の文化なの?シチリア島のオリジナル文化?それともイタリアの年明けのスタンダードな祝い方?
実際に現在でも行われているのか?これは映画の世界の創作?何の意味があるのか?さっぱり…
普通に危ないしね…
当たったら怪我するだろ?
割れ物が飛び交う中を、肩をすくめて立ち去るトト。危険!
○映写室
エレナが窓を開けてくれないので、カレンダーを引きちぎり怒りを露わにするトト。
あのね…キミは小さな頃から映画に触れてきて何を学んだんだよ?そんなありきたりな怒りの表現方法ではないだろ?もっと捻くれて悶々としてていいんじゃない?そんなわかりやすい紙をビリビリにする表現は幼すぎると思うけど…
あんな小さな頃から大量の映画に触れてきたんだから、もっとマセてると思うけど…
と…思ったら、ここでいきなりエレナ登場!
えっ?!脈略なしかよ…
ロクに話もしない互いに相手のことを何も知らない状態で…いきなり熱い抱擁!エレナの背中を揉みしだくトト。
気持ち悪いよ…。
キミは映画から何を学んだの?
海外の人のハグや、キスが日本人とは違う意味合いなのは分かるけど…それにしても、いきなりこの抱擁は違う気がする。
地中海の風か吹く、ちょい悪オヤジで軟派な男が多いイタリアの風土の差なのか…
ジメジメとした湿度の多い梅雨がある日本の風度には解せぬかもしれない。
少なくともトトだけには、ウジウジしといてもらいたかった。この悶々と鬱屈したものが、この先のやりたい事に繋がるんじゃないのか?!
これじゃ普通の学生なんだよね。いや普通というか特別いいよ!超ド級の美人と付き合えるんだから…全盛期と云っていい。
なんの為に幼少期から映画的教養を身に着けたのか…そしてアルフレードの教えの何を聞いていたのか…欲望に任せて抱擁は…違うよなぁ。
エレナの気持ちも解せぬ。
キミは告解室で神父に何を告解するつもりだったのか?
トトを愛してない!とハッキリと言ったのに、どんな心持ちの変化があったのか?その変遷が全く描かれないために、相当に損な役回りだと思う。美しさが半減する程のビッチっぷりに映ってしまう。
熱い抱擁だけで四の五の言ってたら…ま、ま、まさかの…えぇぇぇ?!さらにキス??
これはないな…ここでキスはダメ絶対!
映画の冒頭から、神父が検閲でキスシーンを散々カットしてきて、民衆はキスシーンが飛ばされるとブーイングまでしてた。火災により新しくなった劇場では、キスシーンを解禁して、お客さんみんながシコってしまうほどに喜んでいた中で…
あなたのことは愛してない。
家の下で毎晩好きになってくれるのを待つ。
待つ。
待つ。
いきなり抱擁からのキス。
なんでだよ!そんなわけあるかァ!
なんで外で待ってるだけで、気が変わるのよ!
違うでしょアプローチの仕方が!
少しずつ話して互いのことを知ってもらわないと…なんで愛してないと断言した男を、ロクなコミュニケーションも取らずに愛せるようになるのよ!おかしいだろ?!
ロングバージョンを見れば、その謎は少しは解けるようになるのかな?
とにかく、ここでのキスは…嫌だな。
○アルフレードの家
兵役を終えたトトがアルフレードのもとを尋ねる。
トト
「引き籠もってるの?口も利かないって?なぜさ?」
アルフレード
「誰にでも、そういう時が訪れる。話そうが黙っていようが同じなんだよ…だったら黙ってる方がいい」
なんだか分かる気がする…。
そんな時が来てほしくないけど、近い未来にその領域に入ってしまいそうな自分が重なって見えて不安になる。
○海辺
アルフレードとトト。
アルフレード
「毎日過ごしている場所が世界の中心に思える。何も変わらずに続くと感じる。でも、そこを離れ、数年が経ち、戻ってみたら全てが変わって見える。会いたい人には会えず、居場所もない。この村を出るんだ。帰ってくるのは、ずっと先でいい。家族とも…故郷とも、いつか会える。ただし今じゃない。今のお前は俺より盲目だ」
ああ…とても胸を刺す言葉。
トト
「誰の台詞?ゲイリー・クーパー?ヘンリー・フォンダ?」
アルフレード
「違うよトト…台詞じゃない。俺の考えだ。人生は映画のようにはいかない。人生は…もっと難しい。村を出ろ。ローマに戻れ。若いんだ!何でもできる!年寄り相手にお喋りしてるな…風の便りを待ってる」
素晴らしい!
常に若いつもりで、その時々、その都度、必死にやってきたつもりだけど…今から振り返ると、甘えてばかりで何も成し遂げてない。
自分の辿ってきた足跡が霞んでいる。
今が、この瞬間が、人生で一番若いと信じて、この難しい自分の人生を切り抜けたい。
○駅
トトを見送りにきたアルフレード。
アルフレード
「帰ってくるな!俺たちを忘れろ!手紙も書くな!思い出に浸るな!前だけを見ろ!挫折して帰っても俺は会わん!我が家には入れない!わかったか?」
これくらい厳しい言葉の方が、真の優しさなのかなと思う。本人のことを思ったら、いつでも帰っておいで!とか、そんな甘い言葉は本人の為にならない!
帰ってくるな!これは重い!
だからこそ、受け止めるのだ。
トト
「ありがとう。感謝しかないよ」
アルフレード
「選んだ道を愛するんだ!幼かったころのお前が、映写室を愛したように…」
選んだ道を愛するか…
いい言葉だなぁ。
しかし、それがどれだけ難しいことか…
○葬儀
アルフレードの葬式に参列するために、30年ぶりに戻ってきた中年期のトト。
参列者の中に映画館のオーナーであるスパッカフィーコが…
トト
「いつ閉館に?」
スパッカフィーコ
「6年前です。客が来なくなって…よくご存知でしょう?テレビにビデオ…映画は過去の遺物ですよ。…公営の駐車場になる予定です。土曜に解体します。残念です」
テレビにビデオ…
さらにいまはスマホに配信と…
映画は何とか留めているものの、単館の映画館こそもう本当に過去の遺物と化してしまった…
トト
「なぜ敬語を?昔は違ったのに」
オーナー
「著名な方に馴れ馴れしく話せません…でも今日は失礼して…トト」
○試写室
アルフレードが遺したフィルムを見るトト。
それは神父の検閲でカットされた様々な映画のキスシーンを集めたものであった。
それを見て感極まるトト。
ん〜ぅ…。
検閲の為にカットされたフィルムが見事に繋がれていて…そのキスシーンを30年後に初老のトトが見るというのは、とても素晴らしいのだが…
このラストにするのであれば…いやこのラストだからこそ、キスに拘るべきだったと思うのは私だけだろうか?
このラストなら、青年期のトトがエレナと映写室でするキスは絶対にしない方が良かった。
新しい映画館になった時もキスシーンを解禁して観客が喜んでいたが、あのシーンも別に見せる必要なかった。
全てのキスシーンを、このラストに集約し、ここで初めてキスシーンを解禁した方が爆発力が劇的であったと思うのだが…
どうなんだろう…実際にそれで繋いでみないと何とも言えないけど。
叶わなかったエレナとのキスを、このラストのキスシーンでトトの心の中で重ね合わせるのが綺麗な終わり方だと私は思う。