Bahun

サタデー・ナイト・フィーバーのBahunのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

『細ボルタのキレキレのダンスとビージーズを聴くための映画!!!話は渋い』

ポスターの割に話が渋すぎる!!胸が痛くなるような話だけど、今を生きる上で活かせる含蓄はないかなあ、というのが主な感想。

主人公はイタリア系アメリカ人の若者で、イタリア系は差別されるのでまともな職に就けず、ペンキ屋でバイトしながら実家暮らししているという設定。
日常での鬱憤を土日のディスコで晴らす毎日を送っている。
ただ、この状況、ヒステリックママとヒステリックパパと暮らさざるを得ない状況を除けば普通にうらやましくはある。バイトはのらりくらり上手いことやってるし、ディスコではディスコキングとか呼ばれていて、完璧に自己実現している。
結局、ディスコの中でも差別構造があることに気づき、ディスコキングであることに虚しさを感じて、街を出て1人で生きていくことにするトラボルタ。「トラボルタはここで仕事で一旗あげることを目指して頑張り始めるよ。トラボルタの冒険はこれからだ!」的な爽やかラストなわけなんだけど、これってこの時代の新自由主義経済への移行を描いただけで、彼の成長の結果とかではないと思うんすよね。

ディスコ入り浸りのトラボルタ、つまるところこのディスボルタの成長を描くなら、「家族を大切にしよう」エンドでも、「バイト先で頑張って後継ぎ狙おう」エンドでも、「差別と戦うぞ!!!」エンドでも良かったわけで、「家族だの人間関係だのまるまる捨てて街を出て、やったことない仕事で一旗あげよう」エンドではディスコから出ただけで向こうみずなところは変わらないディスボルタのままなんですよね。

つまり、ここで描かれたのは細ボルタの成長なんかではなく、彼の「目に見えぬ何者かに管理され、保護されたディスコ」から、「単身で、守ってくれるものはいないが自由な街」への移行であり、それは単に新自由主義経済へ移行する当時の世相をスクリーンに写しただけにすぎなかったんだろうな、と思うわけです。
で、映画の公開から45年くらい経った(45年だってよ!!ファック!!)今の僕らはもうゲボを吐きすぎて胃がひっくり返って口から出てくるぐらい新自由主義の悪い部分を見ているわけで、新自由主義から脱却しようとする流れもかなり出てきている。そんな中で、向こうみずなトラボルタ、略して向こボルタから学べることはないわけです。

ただ、僕はこの映画がかなり好きです。リアルでシビアな現実の描写と、華やかで自分が王様なディスコの描写の行き来が緩急があっていい。あと何よりビージーズの音楽がいい。オリジナルからカバーまでたっぷり、しかも最高のMVとともに鑑賞できると考えると、それだけで映画としては好きな部類に入っちゃう。

一方で、人に勧めたいタイプの映画ではないんですよね。音楽の趣味が合わないと楽しんでもらえないだろうし、何より、「感動した!都会に行って自営業で一旗あげるぜ!」とか友達に言われたら嫌なので。というわけで3.5くらいかな。

『ノマドランド』とセットで見たらバランス取れるかな?いやいや…
Bahun

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