カラン

ニコラのカランのレビュー・感想・評価

ニコラ(1998年製作の映画)
3.5
親が狂っている。特に父親はリストカットの痕跡が2本入った腕で少年を愛している、おまえを愛しているんだ、分かってくれ、と撫でてくる。その親と分離することになるスキー合宿の雪山が主な舞台。フランス映画的なまったりとした質感のファミリーロマンスを、少年の夢幻ホラーに仕立てたもの。



子供たちだけの空間が主な舞台で、スキー合宿なので、先生の大人3人以外はみんな子供という状況だが、子供の群生のショットはない。群生してるなと感じることもない。音楽にあわせて踊るというシーンはあるが、わざわざ学童的でないポップスにしている。この映画の主人公が幻視者で、他者の群れから外れる存在だから。また、もう1人、先生に嫌われている粗暴な男の子とだけ、彼はつるむから。

悪夢で恐るべきライフルを持ったマスクの集団がやってきて雪山で惨殺を繰り返す光景を映す。しばらく唐突なフラッシュバックで日常の時間と非日常の時間の配分を崩していく。ここはさすがだなと思った。また、悪夢の浮遊感が全編に渡って強く露出している。ショットも素晴らしい。エンディングのクレジットは雪山の空撮を長々と見せてくれてありがたい。

しかし、、、話がどうもつまらない。ベルトルッチの『暗殺の森』の悪夢の浮遊感と『暗殺のオペラ』の色彩を併せ持っていると言ったら、言い過ぎかもしれないが、ビジュアルは良いのだ。ホラーだが、血を見せない。幻視から父親が事故死で頭から血まみれになるニュース映像が映る。ぬめっとした血が垂れる車中の死体は見事に作り込まれているが、ゴア表現はそれっきり。発砲音の数を考えれば、クリストファー・ノーラン的な企図すら感じる。

監督のクロード・ミレールの『死への逃避行』(1983)は、一般的には隠れた傑作という位置付けなのであろうが、ほぼ黙殺されている1999年のハリウッドリメイクの方を私は評価する。ハリウッド版はガジェットやテクノロジーをふんだんに登場させて、流行りのスター役者をアメリカ的な広大さ、つまり砂漠からアラスカの氷原に至る超領域に立たせてみせる。シネフィルが典型的に好むのは明らかにミレール版だろう。しかしハリウッド版は軽薄な設定を縦横無尽に駆使しているのに、2組の父と娘を、分離&融合させる。その死と性愛の悲しい重なり合いを人物に目撃させ、その眼差しに鑑賞者を同一化させるのだ、ガジェットとテクノロジーを介したストーリーで。悲劇の本質を見失っていないのは軽薄なハリウッド版の方だろう。

『死への逃避行』は、深いところの、本質的なもののつかみが弱いのである。そういう弱さが本作『ニコラ』の弱さでもあるかもしれない。風合いはいい。男の子も来日インタビューでちょっとだけ喋ると、、、緊張してたのか、いくらか幻滅する話し方だが、劇中では独特の伏し目がちの眼差しと静かに内側に降り積もっていく様を表現できていて非常によい。しかし本作を観ていても、いつまでも自分は劇中にいないのである。劇中への引き込みが弱いのだ。技巧的に高度なショットや卓越したタイミングのモンタージュでも、映画を観ている自分が映画の中に引きずり込まれてはいかなかった。


つまらないと感じた理由をダラダラ探っていたのだが、悲しみが足りないのだろうか。(ほぼ)血のないホラーで、理知の領域に向かうのでもない。悲しみを感じない。少年がかわいそうなはずなのに。スクリーンが遠く感じた。


DVDはステレオ2ch。画質は製作年相応。音質は少し劣る。ポップス以外に、ストラヴィンスキーも使われる。ピアノが主体の劇伴は映像よりも饒舌か。その饒舌さは本作の場合にはごまかしに思える。
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