kuu

あらかじめ失われた恋人たちよのkuuのレビュー・感想・評価

3.5
『あらかじめ失われた恋 人たちよ』
って映画す。
1971年の作品で、当時テレビ局のディレクターやったらしい(生まれてないんで)朝生の暴走司会者田原総一朗(先日bsに出てたけど暴走は変わりなし)と清水邦夫のコンビ監督作品。
ストーリーは、
主人公、哮(石橋蓮司)はケガとかで棒高跳びの選手をあきらよって北陸をあてもなく旅してる。
今で云う『自分探しの旅』とかなんとか云うあれみたいなあれかな。
小生も放浪癖があったし、20代半ばまでアチコチ彷徨ったけど、
作家であり、詩人のヘミングウェイは、
『自分探しら、そう称してるだけで、実際は、人生から逃げてる者が多い』と書いてた。
小生も確かに否定できない。
自分探しの旅を続けているときは、なにかと、環境のせいにしながら、責任回避を重ねてたのも、また、否めない。
現実や、社会から逃げて、逃げまくっても、己自身は影のように付きまとってくるし、
無難に、こなそうと考えっと問題てのはかえって膨らんでくる。
背水の陣で真正面から立ち向かうしかないと腹をくくると、意外に事態が動き出すてのは、経験則で云えるかな。
本当の人生ては、自分からは逃げることができないことを悟ってから始まるんかなぁと。
話が逸れすいません🙏
快活&饒舌な好青年、哮(石橋蓮司)が同じバスに乗り合わせた夫婦にニャンゴロにゃと、人なつこく声をかけとるのに、二人に包丁を突きつけ、明る~く強盗をしよる。
哮は駅前で全身にイカれた金粉を塗った男女と遭遇。未知との遭遇やな。
二人に興味を抱き、饒舌に語りかける哮やったが、
二人は無反応。
彼らは聾唖者やったんやなぁこれが。
聾唖の恋人(加納典明、桃井かおり)に出会って、二人にくっついて旅するうちに、なんか行き場がない、フラフラ宙ぶらりんの自分と、ラブラブ熱~く 生きとる恋人たちとの間の差から、
大切なものはなんだろう? 見たいな『?』が哮に過る。
んで、町の若者たちに、女が襲われたことから、哮らは、彼らをナイフと包丁でザクザク次々に刺し、内灘へ移動する💨
二人の間に入れない哮は、やがて自分の言葉に虚しさを覚えるのやった。。。
みたいな疑問を残して終わるみたいな映画すわ。
『当時の青春』なんかなぁ。
あの時代って分からないまでも、『青春』の薫りはするなぁ。
『青春』て何んぞや?ってたずねられたら、
薔薇の面差し、
紅の唇、
しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、
ゆたかな想像力、
燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう
って誰かが書いとったが、
実際、小生は
芋虫が成虫に変態しとる途中の状態と答えるかなぁ。
虫さんと同じ様にでガキから大人に成る途中。
未来には何になるかわからへん、クソみたいなドロドロの不安な時って多くの大人が通ってきたあれ。
その変態するベチャベチャなんを殻で守っとる感じ。
守る殻てのが
『COOLさ』かな。
青春て『カッコイイ』 が何よりも大事ちゃうかなぁ。
兎に角、ガキの頃は、中身は容量の空きが一杯あるし、
ファッションやら、ヘアスタイル、言葉遣いや、好きな音楽で自分の主張を整えるしかなかった。
主張てのは、時代で変わるけど。
でも、
作中の頃は、生きる意味、そして、世界の価値なんかあるんか?
そんな斜に見るニヒルさがCOOLやったんやろなぁ。
今でも、元欅坂46のテチや、Adoの表現を見てたら、内に秘めるのはあまり違わないかなぁと。
この映画は、暗いテーマやろけど、トーンてのは、明るい。
て云うのか、強えぇ。
小生も『生きとる意味なんてあんの?』みたいな自己憐欄をネタに結構楽しく生きてたと思う。
愛情

希望
友情
なんか糞っ食らえ!そないなん無くても生きれとるし、ハッタリ(嘘っぱち)のショウもないキレイやと思ってた。
せやけど、それってのは当たり前みたいに
愛情

希望
友情
てのはあるし、その熱さに、嗚呼、嫌々って辟易してただけなんやろな。

桃井かおりの裸をみれてラッキー
これが男のロマン!青春やなぁ!
kuu

kuu