佐藤

アメリカン・サイコの佐藤のレビュー・感想・評価

アメリカン・サイコ(2000年製作の映画)
5.0
※ネタバレが含まれます




【ウォール街のサイコパスの現実と・・・】

まず、登場人物たちは皆、人の顔を覚えていないことが特徴的です。
これは相貌失認と呼ばれるもので、人口の1~2%が発症者だと言われています。
おそらく最も有名な発症者はブラッド・ピットです。

僕はポーカーが趣味なのですが、日本でトップオブトップの一人であるプレイヤーも軽度の相貌失認だと告白しています。
正確には、相貌失認は表情が分からないといった症状もあるようなので、登場人物たちは相貌失認とは言えない、もしくは軽度だと言えるのかも知れませんが。

ちなみに、その相貌失認のプレイヤーはどうやってポーカーをプレイしてるかと言えば、おそらくはほとんどまったくプレイには支障をきたしておらず、それどころかそれが優位性として機能しているのではないかと推測します。

現代ポーカーはオンラインが主戦場と言ってまったく正しいと言えますし、ライブ(対面でのプレイ)でも「普通」のプレイヤーは、表情にプレイの参考になるような情報は見せないですし、表情を参考にすることもしないからです。

少しばかり物騒なことを言えば、表情や挙動、声色、雰囲気などというものは、普通の人なら誰でも、一切まったく訓練などしなくても、それと分からない嘘はいくらでもつけるでしょう。
だとしたら、平均的なプロポーカープレイヤーはどうかと言えば、それは言うまでもないでしょう。

そして、そのプレイヤーのそれに対する理解は、平均的なプロを遥かに上回る。
彼は情報としてほとんど無意味なそれは捨て置き、それとは無関係の戦略だけを策定し、力を尽くす。
そのスタイルや能力こそが、彼の持つ最も強力な武器なのです。



話がそれてしまいました。

この作品はサイコパスを描いたものですが、サイコパスと言うとまったく自分とは違う「人種」だと思う方が多いのではないでしょうか。
それは違うと言いたいです。
サイコパスは100か0、1か0、あるかないかではなく傾向です。
誰でもその特徴をごくわずかには持っているのです。
それに、言葉の定義として、サイコパスは先天性のものなので、正確には違いますが、サイコパスに後天的に育てることもできます。

例えば、営業担当になれば、相手の利益ではなく、自分や自社の利益を優先しない人間などいないですよね。
客や同業他社がそれで潰れると分かっていても、それが自分に大きな利益になるのなら、まともな営業で気にする者などいません。
なぜなら、そう育てられたからです。
同じことは兵士にも、投資家にも、政治家にも、トラック運転手にだってそう言えますし、大抵の職業はそうだと言っても過言ではないです。
特に仕事なら、大抵の人間は「これは上の命令だから」「自分以外の社員もみんなやってるから」「違法じゃないから」と言い訳をして何でもできます。
そして、営業成績をあげて喜び、他人の金を奪い、殺すことに快感を感じるようになっていきます。

ただ、サイコパスと呼ばれる人々には、一つだけとてもシンプルで分かりやすい特徴があります。
それは、セックス依存症です。
ちょうど主人公のベイトマンもセックス依存症であることが描かれていますが。
良心の欠如だとか、犯罪行為だとか、それらがサイコパスの主な特徴として語られることが多いですが、おそらくこれがサイコパスと「ただの犯罪者」とを分ける最も大きな違いです。

なんだか、話がずれたというか、最初から違う話をしてる気がするなあ😅

作品の話に完全に戻すと・・・

おそらくですが、この作品はサイコパスについて描いたというのは同意する方が多いと思うのですが、誰がサイコパスかというと、ベイトマンやウォール街の金融マンたちだという方がほとんどだと思います。

僕は、ベイトマンはサイコパスかどうかは微妙だなあと思います。
なぜなら、彼は殺人衝動に従ってその欲求を満たしてはいますが、それに強い罪悪感を持っていたからです。

では、誰がサイコパスだったかというと、僕はウィレム・デフォー演じる探偵がそうだったのではないかと思っています。

まず、探偵はベイトマンのオフィスにアポなしで突然やってきます。
あれは、相手の正体が分からないからこそ、「奇襲」をしたのです。
そうして、作中で捕食者として描かれるベイトマンと対峙し、ベイトマンもよく戦ってはいましたが防戦一方で、圧倒的優位にある探偵のその目は明らかに狩りをしていて、その狩りを楽しんでいる者のそれでした。

そして、2度目の「ゲーム」はまたもや彼が奇襲をし、ベイトマンがいない隙に「家探し」をしているところから始まり、ついに彼は決定的な発言をします。
「来週、ランチはどうです?情報を整理してから」「あなたがどこにいたか正確に知りたい。ポール・アレンが失踪した晩に」

もしも、相手にボロを出させたいと思っているならその次の週までなんて時間は与えないし、二つ目の台詞のようなことも絶対に言わないはず。

そもそも、二度目までアポなしできていた、それも一度目に会った時に「アポを入れるべきでした」なんて言いながらまたアポなしできていた男がいきなり相手にアポを取り、時間的猶予を与え、自分の手の内を見せたんです。

これは、少なくとも二度目の事情聴取で犯人だと確信したからこそ、泳がせているのです。
ベイトマンは言い訳やアリバイ作りに奔走するでしょうし、逮捕される危機を目の前に右往左往するかも知れません。
実際、彼は逮捕されるかもしれない恐怖から秘書に電話をかけて、ひどい取り乱し方をしながら苦しんでいました。

一方的な狩りで、獲物を少しずつ痛めつけ、まだ助かる可能性を感じさせながらも、少しずつ少しずつ痛みと恐怖と絶望感を与えていく。
探偵は、この何物にも代え難い狩りの醍醐味を、ゆっくりと時間をかけて堪能したかったのです。

彼が、サイコパスかは正確には分かりません。
しかし、彼こそが作中で最も強い捕食者なのだということは疑う余地がありません。

それと、二度目の事情聴取の最後にCDを取り出し「ヒューイ・ルイスです😄」ってシーンは、もちろんただ見せたかったわけではなく、ベイトマンにならその意味が通じると思い見せたのでしょう。

ブランドや流行がいかに滑稽かを描いてますが、正直それはどうでもいいと個人的には思いますし、それらにはたしかに価値があるとも思っています。
なぜなら、それらに価値を感じる人がいるからです。

どこまでが現実かというのはどうでもいいというか、これは僕が最も嫌いな演出の一つです。
これはただどうとでも取れるように作っておいて、視聴者にそれを考えさせたり、話し合わせることで深みや話題性を獲得しようとするまったくお手軽で浅薄でチープで、薄汚いチンケな詐欺師のような手法です。
どこが妄想で現実かの僕の見解はありますが、それに意味はないと思うので割愛します。

ベイトマンの友人たちが皆同じような見た目で誰が誰か分からないようになってるのは視聴者に登場人物たちの「相貌失認」を疑似体験させるためのギミックだと思われます。

そんな具合で、ポール・アレンを殺す前に浮かれてしている小躍りはウキウキ感が感じられてこちらまで楽しくなってきますし、3Pの時に鏡を見てポーズを決めてるところは最高に気持ち悪いし(最上級の誉め言葉)友人に触られた時に怒るところは神経質なところが見てとれますし、探偵が突然来た時に電話をしているふりをして時間を稼いで対応を考えているところや、慌ただしく炭酸水やライムを勧めたり、コースターを敷いたりするところは、平静を装ってるけどとても慌てていることや、苛立ち、そしてやはり神経質なところが分かり、個人的にどれも最高にいいシーンでした😆😆😆

それに、やはり名刺バトルは何度見ても面白いし、チェーンソーのくだりも「あ、チェーンソーってそうやって使うんだ!」と勉強になりましたし(嘘)チェーンソーを使う前に突如迎える娼婦が家の中の死体たちを見て慌てふためき、パニックになりながら逃げまどう山場も最高でした😁😁😁

間違いなく2000年00年代前半で最も素晴らしい作品の一つだと思います😆😆😆😆😆

作品に直接の関係はありませんが、以前も原作小説を買おうと探し回り、なぜか下巻は出回ってるのに上巻はプレミア価格がついていて買えずに困っていたのですが、この度上下巻セットで500円で売っている古本屋を見つけて買うことができました😂
これからバスや電車の移動時間、寝る前に楽しめると思うと本当にうれしいです😂😂😂
この本を勧めてくれたフィルマークスレビュアーの方には心からお礼を言いたいです😌
佐藤

佐藤