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ステラ・ダラスのotomisanのレビュー・感想・評価

ステラ・ダラス(1925年製作の映画)
4.2
 娘を名門に嫁がせようと言うと、シカゴのりんご売りのおばさんと助け舟を出すギャング達の話を思い出す。欧州貴族の令息を力技で騙しきり、二人を欧州へと見送って娘には二度と会わない覚悟でも、いつもの日々に戻れるおばさんの身の上はちっともホラーでない。見送るや令夫人のいで立ちのまま、いつもの市場での口調に戻って怒鳴り声を上げる様子は、おばさん一代記のハイライト。大嘘とはいえ難事を乗り切った爽快感さえあった。

 ステラの物語を大林監督はホラーでもあると言う。ステラの身の捨てっぷりから感じるのだろう。別れた夫の再婚先に預けた我が娘。その結婚の晩、初冬の雨の中、二度と娘に合わず消息も伝えぬ積りのステラが遠巻きに見詰める華燭の場を追われる、その立ち去る先を想像するのは胸が詰まる。

 結婚によって上流入りを果たしたステラが、憧れた上流社会から疎外され、せめて娘だけでもと望んで離婚、夫の再婚先で晴れて娘を前途有望な青年に嫁がせる。母思いの娘を別れた夫の元へ追い出すためには身を亡ぼすような再婚もいとわない。筋立てを聞けば美談と言うほか無いが、同じく結婚で天に昇ったステラが今また娘の結婚を機に、良い夢でも見たかのような面持ちのまま地に落ちてゆく。場の美しい分一層悲しいし、ステラが封じる物語はいつか、娘やその家族に明らかにされるのだろうかと気遣われる。

 そういえば、ドライザーの「アメリカの悲劇」でも、主人公が死刑になって後、相変わらず街頭で布教活動を続ける一家の中で、主人公の母親が娘の父無し子を亡くした息子の再来のように愛し、同じ轍を踏まさぬよう気遣う。一方その傍ら、裕福そうな若い二人が一家の有様を憐れみながらすれ違って行く夏の西海岸の夕暮れの街景がとても美しく思えたし、番場の忠太郎が母との再会の後、宿場外れで若い刺客を切り伏せる場、忠太郎が、後を追い呼び戻す母妹の声をやり過ごし闇に紛れてゆく様も、切なく悲しくも凶状で名をあげた男の凄みが美しかった。
 そう、悲しい選択や結末には余儀なく迫られる分、美しくあらねば、残された観客は心の置き所が無い。美しくあってこそ、日々かっこ悪い選択や結末に歯噛みしながらも、我々にはちゃんと美しい物語の記憶があるのだと心中胸を張れるのだ。とはいえ、どうせならシカゴのおばさん一代記を地で行ってみたいのが人情だろうが。
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