『花束みたいな恋をした』(2021)で麦クンと絹チャンから神様と崇められていた押井守の脚本監督による『うる星やつら』の劇場版オリジナル長編アニメーションの第2作。
原作の高橋留美子曰く「押井さんの『うる星やつら』です」と語ったとか…
押井守
「原作者は『オンリーユー』は好きだが『2』は今でも一番嫌い。原作者の「逆鱗」に触れた」
高橋留美子の原作すら読んだことないし、劇場版に先駆けて放送されていたTVアニメ版も見たことがない、うる星やつらの初心者マークを付けている私としては、何を改変したのか?どこに怒っているのか?皆目検討もつかない。
とにかく知り合いの映画監督に「ビューティフル・ドリーマーも見てないの?それは死んだ方がいいよ」と云われ…チキショー!!と悔しくて見たわけだが…前段で云った通り、右も左もわからないしアニメの教養すらないので、何が画期的で革命だったのかわからない。
画のタッチや全体を醸す雰囲気は好きな感じはしたけど…
○タクシー車内
運転手とサクラ。
運転手
「お客さん、亀に乗って竜宮城へいく話知ってます?」
サクラ
「いまその気分を味わっとる」
運転手
「亀に乗ってったのが、太郎だけでなく村人全員だったらどうだったでしょうねぇ?全員が竜宮城へ行って、そして揃って村へ帰ってきたとしたら、それでもやっぱり数百年の歳月が経ってたことになるんでしょうかね?村人が誰ひとり気づかなかったとしても」
サクラ
「なんの話をしとる」
運転手
「なまじ客観的な時間やら空間やら考えるさかい、ややこしいことになるんちゃいまっか?帯に短し待つ身に長しいうますやろがな!時間なんちゅうもんはアンタ人間の自分の意識の産物なんや思ったらええのや!世界中に人間がひとりもおらなんだら、時計やカレンダーに何の意味があるっちゅうねん!過去から未来へキチンと行儀よう流れとる時間なんて初めからないのんちゃいまっかいなぁお客さん。人間それ自体がええ加減なもんなんやから、時間がええ加減なのも当たり前や。キッチリしとったら、それこそ異常でっせ!確かなのは、こうして流れる現在だけ!そう思ったらええのんちゃいまっか?」
サクラ
「オモシロイ…これはホントに亀にのったのかもしれんな」
ちょっと何言ってるかわからない。
ただ、こういう哲学的な部分が見る側に考える余地を与え、それが深みとなって本作品をただのアニメから押し上げる効果となっているのかなぁと想像する。
なんでもかんでも説明してしまうアホみたいな作品が多すぎるからなぁ…