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白い家の少女のotomisanのレビュー・感想・評価

白い家の少女(1976年製作の映画)
4.6
 年を取るとはこういう事か。ジョディの行状に孫の行く末を慮るような気分になってしまった。一連の酷い事件に動ずる様子もないジョディと、マジック小僧に気を許すジョディが同一人物である事に心が痛む。
 かかる展開を招来した愚かな詩人(じじいの身には息子に相当する)を責めたい気すら覚える。なぜあんな女を娶った? おのれ一人で大きくなったつもりか! 家主の人となりを見抜けぬ空け者め! あぁわしがここに生きてあれば、と。
 馬鹿げたようだがそうではない。この物語の映じる数日間は、ジョディのための過去十数年のあれこれが試されるもので、間もなく失敗の烙印が押される瀬戸際なのだ。話の終わり、ジョディが蛇蝎のごときマーチンを見る眼差しの無感動な様子にどうしても悔しいような思いが湧く。
 年寄りは若者のためにある、とはカムイ伝で左卜伝が言い残した言葉である。この映画を見直して思い出した。昔はジョディのはまり役と印象深く感じたもので、まさに、雨丘もびり氏が言う”この映画でしか会えない彼女”であったのだが。我もまた幾年月、人は変わるものである。
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