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年をとった鰐のdm10foreverのレビュー・感想・評価

年をとった鰐(2005年製作の映画)
3.8
【満足】

あまりにも年を取りすぎてしまった一匹の鰐。
いつしか彼の体はリウマチの影響で満足な食事にもありつけなくなってしまった。

そして、空腹に耐えきれなくなった鰐は自分の家族を食べてしまう。

長老として尊敬はされつつも、いつの間にか「輪」の厄介者となった鰐に対して、仲間の鰐達は彼を殺そうと決めるが長い間生き抜いた鰐の皮は硬く、とても歯が立たなかった。
しかし、自分が「輪」の中にいることが望まれていないと悟った鰐はひっそりとその輪を離れる決意をする…。

「生きる」ということに常に付き纏う『尊厳』と自己の存在に対する『承認欲求』。

旅の道程で出会った一匹の雌タコは彼の「心」を満たす存在であった。

彼女は無償の愛で鰐の手足となり、甲斐甲斐しく餌を獲って鰐に与え続けた。

ワニの中に芽生える複雑な愛情。

彼女だけは自分を厄介者扱いせずに自身の存在を肯定してくれる。
と同時に8本もある足(彼女は12本あると思いこんでいる)は、鰐の底知らずの空腹の前には「魅力的な食べ物」でもあった。

(12本もあると思ってんだろう?だったら1本くらい無くなったって…)

夜毎訪れる鰐の傲慢な「欲」

いつしかタコの足は一本もなくなってしまった…

「おかしいわ…何だか足が一本も無いような気がするの」
「君もリウマチになったんだよ。だから足の感覚がなくなってしまったんだ」
遂にはタコそのものを食べてしまう鰐。

しかし、鰐の中に去来する虚無感。
タコの足を食べたことで、文字通り空腹に対する「満足」は得られたが、その代わりに大切なモノを失ってしまったのではないだろうか…。

また一人ぼっちになった鰐は仲間の元へ戻るが、紅海を通った影響か皮が真っ赤に変色した鰐は最早仲間の一員には戻れなかった。

しかしその姿を見た人間は「神の使い」として鰐を崇め、生贄を捧げる。
よくわからないまま「自尊心」も「空腹」も満たされているのに、何故か「心」だけは満たされない。

生きるということは、単純に物質的な充足(衣食住)があれば成立するわけではない。
誰かが必要としてくれるから、あるいは誰かを必要とするから、そういう相互の繋がりの中で「生かされている」というものなのかもしれない。

「食べる」と「食う」は、似て非なるものなのかもしれない。

もちろん、単なるニュアンスの違いかもしれないけど、「おいしい」とか「ありがとう」とかの意識が伴う『食べる』に対して、ただただ無機質で無造作に胃袋に放り込む「食う」とは何処か受ける印象も違ってくる気がする。

「タコを食べた鰐」と「生贄を食う鰐」

どちらも生きていく上では必要なことだったのかもしれないけど、彼の「心」に残ったのは…


ある種寓話的なニュアンスも漂う作品。
淡々としたナレーションに感情の起伏すらも持って行かれそうになるが、「他者を愛する」という人間的な感情と「弱肉強食」という自然の摂理が同居する不思議なお話。
ついつい引き込まれてしまいました。
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