Jeffrey

若き勇者たちのJeffreyのレビュー・感想・評価

若き勇者たち(1984年製作の映画)
3.0
「若き勇者たち」

本作はジョン・ミリアスが監督と脚本を務め、原案のケヴィン・レイノルズと共同執筆した1985年のアメリカ映画で、この度BDにて再鑑賞したが面白い。政治的な作品ではないとされているが、若者たちのサバイバルを描いた映画で、生きるか死ぬか系の作風が好きな人にはオススメできる。当時ノリノリの若手俳優たちパトリック・スウェイジ、C・トーマス・ハウエル、チャーリー・シーン、ジェニファー・グレイ、リー・トンプソンがこぞって出演しているのが見所。確か2012年にはリメイクもされている。本作が第三次世界大戦を想定した近未来戦争スペクタクルであると同時に、鮮烈な青春映画の傑作と言える。フットボールに、恋に、その青春を思いっきり謳歌していた少年たちのそれぞれ限りない未来に夢と希望を持っていた矢先にパルチザンに変身して彼らは占領軍に対し猛反撃を開始するまでのストーリーである。

この物語は澄み切った青空がどこまでも広がる9月の朝に始まり、翌年の早春2月に終わるのである。本作はその6カ月間を枯葉散る道端で、深く積もった雪山で、小春日和の青い空の下で血みどろのゲリラ戦を展開し、ラストのヒロイックで壮絶なカリュメット解放作戦へと流れ込んでいく。そのダイナミックな戦闘シーンは見る者を圧倒せずにはおかないだろう。特に敵兵から奪ったバラライカ機銃、ZSU24地対空ロケット砲などそれに淡い恋などを見ていて面白い。この作品は貴重な米国の資源を守るために払わなければならない犠牲と闘争と自由をここで扱っているようにも見える。本作は、芸術が人生を模倣すると言う観念を立証していて、外国人によるはじめての米国侵入を描いたこの作品を作るために、製作者たちは、仕事に行くごとく戦争に出かけたと言えるのかも…それほどまでに熱を感じた。

軍用自動車の設計、開発、制作。近寄れない戦闘地域への道の建造。そして、何よりも特別に許可された国防省の図面や報告書を含め様々な資料をもとに、15台に上るソ連の武装タンク、精巧なZSU24対空砲、および3機の大型戦略ヘリコプターが作られたのはすごい。これら全てが最新のソ連軍事テクノロジーと一致している。この資料は機密であるばかりではなく、映画の中で重要な場面で使われるので、スタッフ資料の入手に全力を尽くしたんだと思う。それにマルクス主義の革命ポスターが制作されているのを見ると、きっとプロパガンダキャンペーンを映したかったんだと思う。それにしても人里離れた地点のゲリラ基地や中学校の運動場と教室のセットとかは本格的ですごい。確か監督は第二次世界大戦のナチスの占領下におけるユーゴスラビアとギリシャの抵抗運動から、こうした戦術、戦略に関するインスピレーションを得たと言っていた。



さて、物語は同じ世紀に二度の過ちを犯しながら、人類はまたも悲劇を繰り返した。第三次世界大戦が勃発したのだ。メキシコに革命が起こり、ソ連軍は南米を制圧。NATOは解体、国際的に孤立したアメリカに、ソ連軍とその属軍が襲いかかった。9月。ロッキー山脈を間近に見上げる、コロラド州、カリュメットの街はいつも通りの平和な朝を迎えていた。高校では1時限目の講義が始まり、生徒たちが熱心に耳を傾けている。ふと、窓に目を向けた生徒が声を上げた。パラシュートだ!。静かに1人、また1人と落下傘部隊が校庭に降りてくる。どこかの練習部隊が目標地点を間違えたのだろう。生徒の1人が、外へ出て、隊長らしき兵に声をかけた時だった。

彼らの銃が一斉に火を噴いた。情容赦ない攻撃に、生徒たちは次々に倒れていく。静かな授業風景は一瞬にして地獄絵図と化した。混乱の最中ジェドとマットの兄弟は銃撃を逃れ、軽トラックに飛び乗ると、逃げ場を失っているクラスメイト達を可能な限り拾い上げ包囲網を必死で突破した。家に立ち寄り、ライフル銃、衣類、食料などを補給すると、戦火に包まれた街を後に、近くの山へ。数時間後、目指す場所にたどり着いたのは、この兄弟のほかにエッカート兄弟、勝気なロバート、生徒会議長のダリル、宣教師の息子ダニー、逃げる途中、父の死を目撃したアートバーグの6人の少年たちだった。彼らは、当分山にこもり、自給自足の生活を送ることにした。10月。山での暮らしにもようやく慣れたが少年たちの不安は募る一方だった。

ジェドは、マットとロバートを連れ山降りた。街には南米の兵士たちがいて、住民の姿が見当たらない。ようやくドラッグストアで顔見知りの店員を見つけた3人は、彼女から想像を上回る事態を知らされた。街を占拠したソ連、キューバ、ニカラグアの連合軍は、行方不明のジェドらを指名手配中だと言う。夜、闇に紛れて、再教育キャンプに潜入した3人は、そこでジェドとマットの父エッカートとの再会を果たした。だが過酷な拷問のため衰弱しきったエッカートは、自分は死んだものと思え、少年たちを追い返すのだった。帰る途中、3人は町外れのメイソンの家に立ち寄った。メイソンは変わらぬ笑顔で少年たちを迎え、街の様子を語ってくれた。公開処刑、婦人への暴行、死刑、町は蹂躙されつくしていた。そして、ロバートの両親も…。


メイソンは、肩を落とす少年たちを励まし、納戸にかくまっていた孫娘のエリカとトニを山へ同行させた。数日後その少年少女たちが住む隠れ屋にほど近いアラパホ古戦場跡で3人の兵士が殺され、銃機が奪われた。この事件をきっかけに、ウルヴァリンと名乗るパルチザンが出没し、占領軍を悩ませた。同胞の復讐に燃えるジェドたちが蜂起したのだ。11月。エリカが雪原でアメリカ兵を見つけ、隠れ家に連れてきた。アンディ大佐と名乗るその男は、アメリカ全土の戦況を教えてくれた。ソ連軍はまず、ダコタのミサイル格納庫を襲い、ロッキー山脈に沿って北上してきた。イギリスが参戦しているが、直に手を引くだろう。核兵器を使えない。何処も旧式の戦争で、一進一退の状態が続いている。

以来、アンディはヴルヴェリンの有能な参謀として活躍した。エリカは、アンディにほのかな恋心を寄せていた。12月。ヴルヴェリンは飛行場を襲撃、占領軍に多大な損害を与えた。しかし、友軍が街へ到着しない限り、平和な日々が戻ってこない。1月のある日、9人の兵士たちは、不気味な響きを聞いた。偵察に出てみると、彼らの丘でアメリカ軍の戦車が砲撃を開始していた。戦況が好転し、前線がもう間近まで迫ってきたのだ。背後からは占領軍の戦車が現れ、迎撃する。戦車戦の真ん中に放り出された彼らは必死に脱出したが、この混乱の中でアドバークとアンディが命を落とした。嘆悲にくれる少年少女たち。エリカがもう二度と愛なんかごめんよと声を振り絞った。愛のために戦ってるんだ。ロバートが自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

2月。ウルヴァリンが山中に分け入ってきた。山を知り尽くしたジェドたちの敵ではなかったが、彼らの持っていた感知器から、悲しい事実が判明した。ダリルが自分の居場所を知らせる発信機を持っていたのだ。山を降りた時に敵に捕まり、無理矢理装着されたのだと言う。だが、この裏切り行為が全員を窮地に陥れたのだ。ジェドは幼なじみのダリルに死刑を宣告した。死刑後、ジェドは皆から離れて思い出の写真を手に1人泣いた。次第に心が荒れんでいく若者たち。そんな時、ウルヴァリンのため出動したソ連軍の大型戦略ヘリの攻撃を受けてトニとロバートが命を落とした。ジェドは全滅を免れるための最後の作戦を実行に移した。ジェドとマットが街へ降りて占領軍を混乱させ、その隙に応じてダニーとエリカを安全な地域逃がそうと言うのだ。

死を覚悟し、今まで学んだ限りのゲリラ戦法を駆使する兄弟の前に敵はを次々と倒れていた。しかし、ついにマットの体にも銃弾が炸裂した。ジェドは、虫の息の弟を抱え、幼い日々に父親と遊んだ公園へ向かう。ブランコに乗り、疲れたとつぶやいていたきり、ジェドも動かなくなった。安らかな顔で眠る兄弟の肩に雪が静かに降り積もった。やがて、戦争が終結した。少年少女たちが勇敢に戦った古戦場には、星条旗が翻り、記念碑がひっそりとたたずんでいる…とがっつり説明するとこんな感じで、やはり見所はファースト・シーンの授業中の教室からカメラを外へ向け、生徒たちのバックにソ連のパラシュート部隊が降下してくるショットから、市街戦の真っ只中のジープを飛ばして、山の中へと逃げる連続したシークエンスの流れは、絶品だろう。ワクワクするような工夫を味わわせてくれる。黒澤明を師と仰ぐJ・ミリアスが、黒澤のアクションシーンのハイなテンポをそのまま映像化したような素晴らしい導入部となっていると評価されている。

今思えばかなり刺激的な作品だったなと思う。この映画は侵略軍が某国でも、仮想敵国でもなく、あからさまにソ連及び他の共産国軍隊、と言うことを前面に出し、赤い星マークをアップにしている。当時のレーガン政権下における対ソプロパガンダの一環とも言える作品だが、果たして現在のロシアでこの映画が見れる事は可能なのだろうか?と言う疑問がいまだにある。疑問と言えばもう一つあるのだが、第三次世界大戦にもなっているのに核爆弾を使わないというのがありえない。そもそも、アメリカ全土をソ連軍が蹂躙しに来ているのに核のボタンを押さないアメリカ軍って一体何なんだろうと言うツッコミがまず出てくる。その辺を見ると批判的な戦争映画と言うよりかは、男たちの伝説の再構築を描いたようにも見える。

そしてこの映画を見てみると、主人公は高校生であどけなくウォークマンの使い方ならわかるにも、拳銃の使い方の方なんてわからなかったが、持っているうちにどんどん最新火器を使いこなしていくのを見てみると、ベトナム戦争で近代兵器を残していたアメリカの武器を使ってベトナム人たちが中国人たちをやっつけた戦争などをふと頭に想い浮かべた。中越戦争のことである。ここまであっという間にゲリラ戦士になっていくのだから、すごいなと思うのである。ただ実際に戦時下にこのようにあっという間に拳銃などを使ってゲリラ戦士になったりするものなのだろうか、そこら辺はリアリティーに欠けてしまうのかもしれない。だがそこは映画的と言って収めておきたい。あくまでも若き戦士たちの闘争のドラマである。

どうしても主要なメンバーであるパトリック・スウェイジ、ハウエル、ダリル・ダルトンなどを見ると、フランシス・コッポラ監督の「アウトサイダー」に出演している俳優たちのキャスティングだから、のどかな50年代の不良少年たちを演じていた彼らがきな臭い80年代の戦場に叩き込まれて言ってしまうという皮肉な感じもを見てとれる。同世代のコッポラに対してライバル意識がミリアス監督にあったのかもしれない。戦争のツケと言うのはいつの時代の若者たちの血で払われていると言うメッセージと、皮肉にも、これまで1度も国土を侵略されたことがなかったアメリカが初めて侵略される側に回った珍しい映画だなと思う。そういえばこの映画を観た映画評論家の秋本鉄次が、我々がこの作品から学ぶべきは、反ソでもなく国家のエゴのツケは誰の血で払われているかと言っていた事を思い出す。まだ未見の方がオススメ。
Jeffrey

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