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ペイルライダーのotomisanのレビュー・感想・評価

ペイルライダー(1985年製作の映画)
4.1
 「知ったら何かが変わるのか」と問われれば、今なら「変わるぞ」の答えが何万何十万も上がるだろう。知れば新開発の糸口やら大儲けの切っ掛けが掴めると言う御仁だろうが、牧師が誰なのか問うたサラは牧師のこの返しに「いいえ」と言う。知らされなくても、きっとそうだと分かっている。サラの胸中をそう察した。で、誰なのか? 言ったら何かが変わってしまいそうで...
 知りたくて悪いかと言い返せば、悪いとは限らないと返って来そうな気がする。悪いとすれば、金が出るらしいと知れば分捕りに走るとか、新技術があると知れば金に飽かして導入し山を荒らすとか、出来る保安官がいると知れば用心棒化するとかである。今でもあるだろうし、イエスの頃でもあっただろう。それで謎の牧師が正しきことをせよと働く。フロンティアとて牧師では劇的な展開は望めないし、現実の決着も望めない。そこで遺恨ありの保安官相手にガンマン復活と転ずるが、その後が面白い。先のサラと牧師の場面だ。知って何かが変わるのか?もそうだが、過去からの呼び戻す声もそうで、これを誰と決めてかかると二人の場面が妙に色あせてしまうようで行けない。
 いろんなことを知ったおかげで今日があるし、多くの事を容易に知れる便益は手放し得ない。それでも知られたくない事はあるし、知ってがっかりな事もある。牧師にまつわる事も然り。あの二人の場面の雰囲気を余計な事に気をまわして乱してはなるまい。説教臭い牧師をことさら話の先導役に据えた意図を酌むならば。
 ここまで言い切ったものの、誰だか知りたい思いはやまない。どこから来て、何であって、どこへ向かうのか。自身に向かって問うもののように思っていたが、物語を見終えて今、牧師に向けて問うている。みだりに尋ねるべきでないとは、先に述べた通りであるが、それでも止まないのは、牧師に人の理想像を見るような思いからかもしれない。
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