カリカリ亭ガリガリ

ファニーゲームのカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

ファニーゲーム(1997年製作の映画)
5.0
わたしらがハリウッドのブロックバスター映画をニコニコ観ている気持ちを全て逆撫でしてくるハネケ先生流の暴力論。「いや、本当の暴力ってそんなポップコーン食べながら消費できるもんじゃないんで」とでも言うのだろうか。メタ構造のずるさというか、観客と共犯関係を結ぼうと映画側が歩み寄ってくるその試みが、アカデミック嫌がらせの域。ハリウッド映画が描かない、いや描けない「暴力」についての映画。

この映画を初めて観る人で、果たして最初に◯と◯◯が殺されると予想できる人がいるのだろうか。それくらい、暗黙の了解がまかり通った"ハリウッド映画"の先入観に、観客の想像力は狭められてはいやしないだろうか。普段、観客は無意識に「こうはならない、なぜなら"映画"だから」みたいなディールに乗っていて、この映画はそれを徹頭徹尾に挑発する。
挑発と書くと、この映画が今尚持たれがちな「胸糞」なイメージを補強してしまいそうだけれど、そのカテゴライズで済ませてしまうのは思考停止な気がする。過激だけれど低俗ではない、不条理だけれど確かな構築力がある。それがハネケ映画の魅力じゃないか。

たとえば、改めてこの映画の構築力という意味で完成度の高さを思い知ったのが前半10分間で、実はここに伏線が満載。
主人公夫婦が隣家フレッド夫婦にドウモーと手を振ると、フレッドは「あ……あとで行きまーす」と変な雰囲気。フレッドの奥さんは無言。白い服の青年が二人いる。主人公夫婦は車中で「何あの態度、不機嫌そうで素っ気なくない?」と愚痴を漏らす。フレッドが短パンの男性を連れて主人公夫婦の別荘に挨拶に来ると「彼は同僚の息子さんだよ」と短パンを紹介される。短パンに向かって犬がめっちゃ吠えている。ボートの準備をする父と息子。息子が「シシー(フレッド夫婦の子供)がいないとつまらないよ」と愚痴を漏らす。父は「そうだな、あとでシシーのママに聞こう」と答える。息子「フレッド伯父さん、なんか変だよね」そして、白い服を着た青年が卵を貰いに訪ねてきて……
と、本編を2度目に観る時にゾッとするような決定的な伏線がワンサカ登場していたのだ。これらの伏線が"伏線"だと発覚するのは、息子がフレッド家を訪れて以降である。要するに、この一連の伏線は、フレッド家も既にパウルとペーターの被害者になっていた、ということで、開始直後から容赦ない。さらに、主人公奥さんとパウルが夫婦の友人と出会うところは、なるほど先ほど挨拶に来たフレッドとパウルの反復であり、そしてそれはラストでも反復されて……という、まるで無限地獄のような構造。それを台詞でも説明でもなく、映像の連結を通して観客に「アッ……」と発見させる知的な構築力の高さに、降参。

約10分間の長回しシーンも、暴力の恐怖を継続的に受けた者のリアリティでしかない演技で(そこにはハリウッド的なカタルシスも、感動も、可能性もない)、やっぱりここはすごい。圧倒的な恐怖の時間。逆に死体に一切視線を向けない感じとか、無沙汰な形で描かれる夫婦の支え合う姿とか、それが無機質に監視カメラのような引いた視点で撮られていたりとか、まさに「暴力」を描いた時間。ここを切らずにワンカットで撮ろうと判断したハネケは、文字通りの意味で、マジで信頼できる。

パウルはラスト直前に「虚構は現実と同じくらい現実だ」と言う。この映画の中でパウルは何度もカメラ目線で「これは映画だからね、虚構だからね、観客の皆さん、もっと映画を面白くしてほしいよね?」と投げ掛けてくる。そして当然、この映画にはこの映画を"虚構"と分かって観る観客がいる。しかし、虚構の中の人物にとって、それは"現実"でしかないのだ。その"現実"の部分に気付かせてくれるのが、この映画なんだと感じる。

暴力がなぜ最悪なのか、頭で説明しても分からんだろう。
だから自分の感性で、その嫌悪感を感じてごらんなさい。
これぞ「暴力映画」……。今更ファニーゲームなんて、もはやベタだよねと馬鹿にするべからず、やっぱりこの映画は、強ェぜ……。

この映画は「これはホラーですよ」という驚かせ演出を全然しないのだけれど、唯一、奥さんおかえりなさい……と思いきや、卵がコロコロコロ……🥚なショットは、めっちゃホラー。


余談。もう時効かと思いますので……この映画を初めて観たのは中3の頃、しかもDVDで簡単に観られる状況にあらず、ニ◯ニコ動画でうpされているのを観ました(動画のタイトルは『おかしな遊び』みたいな笑)。その時の動画内のコメントの盛り上がりっぷりったら。そしてタグ付けの大喜利感といったら。始まった瞬間にデカ字幕で「今すぐここで観るのやめてシコって寝ろ」とか、例のリモコンシーンで「もう俺はこの映画観るのやめるわ……」「ってかもう映画ってものを観るのやめるわ……」とか、あの時あの時代のインターネットの豊かさというものが確かにありました……懐古……