ダミアン、ついに、ダミアン、、、完結!
幼児期では育ての親に殺されかけ、
青年期ではその育ての親の兄に殺されかけ。
それでも、“悪魔の子”。
その度にダミアンは、自らの力と周りの使徒の力によってその場を凌ぐ。
そして、本作、ダミアン、いよいよ大人になり、その力に確信を得て、ついに、世界征服へと乗り出す。。。
この大人ダミアン、サムニールだったのか。
見たことある顔だと思ったら。。。
と、これまで神と人間側も、沸沸と芽を生やすダミアンの力に畏れ、屈し、どちらかと言うとダミアンの力が増し増し、それに屈して防戦一方だった。
本作でも、ダミアンはいよいよ自分の力に目覚め、実際に力を使い始めてたり、彼を取り巻く人たちを掌握し始めて力を確実に付けている。
が、しかし!
2千年振りの星の並び。
“悪魔の子”の世の中を終わらすために、“神の子”ナザレが再誕する。
と、なかなか悪魔がかっているというか、神がかってる。悪魔も神もここに極まれり。
この作品の凄いとこはオカルト感ガンガンで、悪魔だの神だの、力が強まるだの衰弱だの、ダミアンを倒すには7本の短剣だの、星の並びだの、ナザレがまた生まれるだの、ダミアンの親は山犬だの、終始ぶっ飛んだ設定や逸話、ツールが登場する。
なのに、ダミアンの生きる世界は政界、財界。つまり、スーパー現実的な利己的な世界。
このバランス。
悪魔的なオカルトホラーのおどろおどろしさが、ダミアンという“悪魔の子”のその力が。
リアルに人の世界に忍び込み、その力を使い、リアルな世界でリアルにのし上がる。
確かに、この世の中で悪魔の力で、世界を制する、というのは、まさにこういうことかな、と。
別に、悪魔を呼んで呪文唱えて、魔法陣の中とかで、十字架を折るだけが悪魔の力、ではない。
このシリーズを通して、そんな現実世界と、悪魔と神の距離の近さを感じた。ホント、名作シリーズでした。
ホントはリメイクでもう1作あるけども、とりあえず一旦ここで気持ちよく区切りとするのである!
あの、最後のダミアンのシーン、ビックリするぐらい神々しい。
神々しいとは、このことだ、と思えるスゴい終わり方。
そこまでしないといけないぐらいダミアンがスゴいということがよくわかった。