Kumonohate

浪花の恋の物語のKumonohateのレビュー・感想・評価

浪花の恋の物語(1959年製作の映画)
4.8
内田吐夢監督による1959年の作。近松門左衛門の「冥途の飛脚」を脚色(実際に起きた出来事を、近松門左衛門が見守り続ける、という構造になっている)した、美しき悲恋物語にして現代社会批判。さらには、作品とは何か作家とは誰かというテーマに切り込んだ問題作。

まずは兎に角、切ない、儚い、悲しい、美しい。

そう感じるのは、自分が近松をきちんと理解出来る年齢に達したことも理由かもしれない。だが、それ以上に、中村錦之助と有馬稲子が醸し出す、静かだが激しい情念が胸を打つからだ。そして、“セットとは美術” であり、ただリアルに実物そっくりに造ればいいってもんじゃない、という余りに自明だがともすると忘れがちな事実を思い出させてくれる見事なセットが、役者を囲んでいるからだ。それほど、近松ワールドをベースに構築された内田ワールドは完成されている。

そして圧巻はクライマックス。

それまで、飛脚問屋のボンと郭の遊女との恋の顛末を戯曲の題材にすべく、観察者であり続けてきた近松が、せめて物語ではふたりを結ばせてやろうと、現実とは異なる結末をしたため始める。そしてその時点から、ドラマでは、現実の顛末と作品上の顛末という2つの世界が交互に描き出されてゆく。だが、やがて訪れる現実の結末は、作家の予想を超えた悲劇であった。作中、極めて寡黙に描かれている近松は、現実の悲劇を目の当たりにしても、それについてものを言うことは無い。だが、その面持には、結末を変えたが故に現実と大きく乖離することとなった、自作品の無力や無意味や浮薄さを思い知らされた近松の内心がにじみ出る。今回の悲劇の原因となり、近松自身も距離を置いていた、蔓延する拝金主義に自ら身を落としつつあることへの自己嫌悪を読み取ることが出来る。

冷たく美しい画面の中に、青白く燃えさかる人間の心の炎を描いた大傑作。
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