ダルマパワー

Dolls ドールズのダルマパワーのネタバレレビュー・内容・結末

Dolls ドールズ(2002年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

スコアに悩む作品、決めてはシンプルに面白かったか否か、で言えば面白くはあった。

が、人形劇の古くささ、できる表現が限定的で、良さがわかりかねた。言葉も頭に入らず、年配者のうなり声をただ聞いているだけの状態。故にこの映画全体で何を言わんとしているのか、なかなかわかりかねた。


北野監督の作品は、油絵のようだと感じた。水彩画ほど、馴染まない。色んな色を、ベタベタとキャンパスにつけ、少し離れて見た時にそれらが一つの絵として馴染む感じ。


現実的に言えばありえない、そんなシーンが多々あったが、それでいいのかもしれない、フィクション映画なのだから。


映画から感じ取れたキーワードは、赤、血、生、深い愛。


人形劇を見て、顔に感情がないながら、体を揺らし声を震わせて感情を表現していた点が気になった。


そして、3つのストーリーが映画で展開される中で、いずれもが、人間として持つべき何かを失っていた。


心を失った人、目を失った人、思い出を失った人


心と言葉を失い、ただ歩くだけとなった菅野美穂はまるで人形のような歩き方で、体の揺れが、底の見えない悲しさ、愛の深さを表現しているようだった。


敢えて言葉をなくし、体だけで悲しみを表現すること、


人形劇を先に見せることで、見る側としては、言葉以外から感情を見いだす行為への耐性がつき、言葉以上の思いを感じることができたように思う。心からの叫び声を聞いたようだ。


色の鮮やかさが、かえって血や生のような生臭ささえ醸し出しそうなものの印象を受けた。


色々な解釈が持てる作品だが、個人的に思ったのは、人も人形も同じように見えるが、人からは血が出る、人は痛みを感じる、人には愛がある


例え心がなくても、愛は残る


そんなメッセージを受け取った。


菅野美穂の漂う視線や、武重さんの目を切るシーンから、『見る』とは何だろうと考えさせられた。

作中、様々な見た目の人が出たが、目で見える部分を『見る』こと、見た目の情報ってそんなに価値のあることなのかなと、思った。


つながりこじきをみて、笑う人々が映ったが、彼らこそが薄っぺらく、滑稽に見えた。どちらが深い生き方をしているかは、一目瞭然だ。


ただどちらが幸せかは、わからない。
ダルマパワー

ダルマパワー